「エド、アル!お久しぶり!」休暇を利用して焔の大佐といっしょにリゼンブールに帰省して来たばかりのわたしは、例のごとく川原で組み手をしていたふたりの兄弟に声をかけた。ひとりは鎧に身を包んだ少年と ―― そしてもうひとりは、最年少の国家錬金術師、エドワ-ド・エルリックそのひとだ。ちなみに弟君のなまえはアルフォンス・エルリック。この兄弟のことを話し出すときりがないから、このくらいにしておこうと思う。一瞬見えた気がしたエドの笑顔も、わたしの傍にいる焔の大佐、ロイ・マスタングの姿を見つけると怪訝そうな表情に変わった。なんとも、分かりやすい。 ひと目で、彼の少年がこの人物を好ましく思っていない、ということが分かる。川原でふたりの組み手を見ていたらしい幼馴染の少女は「相変わらずなのね」と、何処か困ったふうに笑みを浮かべて、わたしのほうを振り返った。端整な、顔立ち ―― 素直に、可愛いと思った。少女らしい少女だ。


「…お久しぶりです、◎さん。いまは休暇中なんですか?」
「うん、実はそうなの。それよりウィンリィちゃん、敬語はいらないって言ったのに」
「はは、すみません。なんだか慣れなくて…それに◎さんは軍の人なんですから…」
「あら。わたし、いま軍務を休んでいるから、普通に普通の人間よ?
 そこらじゅうにいる二十代後半に突入しかけてて悩んでる女性たちと変わらない人間よ?」
「…◎さんって、相変わらずおもしろいんですね…」
「ウィンリィちゃん?」
「ははっ…あ、はい…それじゃあきょうだけ…○さんって呼ばせてもらいます…」


「…遠慮しなくて良いのに」わたしは少しだけ笑みを浮かべながら、ウィンリィちゃんにそう言った。傍にいた大佐は、 嬉しいような、だけど何処か素直に喜べないような ―― そんな、複雑そうな顔をしていた。たぶんきっと、ウィンリィちゃんは気づいたのかもしれない。 だから、いまも黙り込んだままなのかもしれない。ふたりの気持ちが何となく分かるわたしは、もう何も言えなかった。 ふと川原のほうを振り返ると、さっきまで組み手をしていたはずの兄弟ふたりの姿がなく、そのふたりはいつの間にかわたしたちの傍に来ていた。


「…よ-○。久しぶりだな」
○さんお久しぶりです!相変わらず元気そうですね」
「うん。あっちこっち振り回されてたいへんだけど、元気は元気よ。
 エドもアルも、変わりなさそうでほんとうに良かった…また無理してないでしょうね?」


わたしが少しだけ生真面目そうな顔をするとエドとアルはお互いに顔を見合わせて少しだけ困ったような笑顔を浮かべた ―― まったく。この兄弟といい、大佐といい、ウィンリィちゃんといい ―― どうしてこうも、湿っぽいような笑顔を見せるのかしら。ううん、ほんとうの理由は…分かってる。それはみんなもおんなじだから…だから、だれも、何も言わないんだろうし、言おうとも思わないんだろう。それが彼らなりの優しさというものなのかもしれない。それがほんとうのことなら、なんだか少しだけ、寂しいような気持ちになる。わたしや大佐はともかく、彼らはまだ幼いこどもなのだ。 こんな小さいうちから、こんな感情や笑顔の浮かべ方を心得ていたりしたら、きっと将来は明るくはないのだろう。それでも、生きていて欲しい。わたしは、強くそう思う。


「え~っと…そうだ!きょうの夕飯はわたしがご馳走するわ!大佐もいるし、ウィンリィちゃんもいるし、おばあさまもいるでしょう?」
「ええ?そんな!○さんはきょう帰ってきたばかりなのに…!折角の休みなのに…!」
「良いのよアル!あなたたちはいつまでここにいるのか分からないんだからいるときにしないと!
 わたしは当分の間はここにいるつもりだから良いの!ね!大人しく言うことを聴きなさい?」
「なんで最後のほう命令形なんだよ…まあ良いけど…(○の手料理が食べられるんなら)」
「鋼の。いま余計なことを考えなかったかい?それから○、手伝いの中にわたしも含まれていたようだが?」
「そうですよ?大佐だってわたしのところでお世話になるんですから当然です」
「え-っ?大佐って○さんのところでお世話になるんですか-?」


○のさも当然と言うような台詞にエド、アル、ウィンリィの三人が声をそろえてそう答える。大佐の「…そうだが」と言う、何処か嬉しそうな、勝ち誇ったような言葉が彼らにきちんと届いたかどうかはほんとうに怪しいところだけれども、大佐がわたしのところで厄介になるのは事実なんだから、首は振れない。苦笑いを浮かべていると、ウィンリィちゃんの家のほうからおばあさんの「おまえたち、もうすぐ日も暮れるんだから早く帰って来な!」と言う声が聞こえ、わたしたちは驚きを隠せない幼馴染三人の表情を見つめながら、行って、と先を促した。そして ―― ロックベルのおばあさんに、大佐とふたりでひとつ頭を下げた。


「あんたたちも、久しぶりだね…○はいつまでここにいられるんだい」


食事中、ロックベルのおばあさんの傍に座っていたわたしは、彼女に声をかけられた。だから「当分の間は…。えっと、一週間くらいです」といって、もう一度スプ-ンに手を伸ばした。するとロックベルのおばあさん ―― ピナコさんは「そうかい。あんたは、すぐ戻るんだろう?」と、大佐に向き直った。大佐は何処か渋った表情を浮かべながら「…はい。わたしは○のように長期休暇はとってませんので」と言って、先ほど自分で注いだ珈琲をすすった。ピナコさんは何処までも食えないおじさんなんだねえ、とつまらなそうにそう言い、最後に「無理はするんじゃないよ」と言ったきり、黙り込んでしまった。食事のあとは、少しだけ他愛の無い話をしてすごし、適当な時間になったところでわたしと大佐はわたしの家へと路についた。


「ふ-食べた食べた!大佐、きょうの料理はどうでしたか?」
「どうというのは?美味しかったかっていうことを聴きたいのかね?」
「そうですよ、ほかに何があるって言うんです?」
「それもそうだな…うん、お世辞を抜きにしても、美味しかったと思うよ。きみなら良い主婦になれるんじゃないかな」
「ほ、ほんとうですか?良かった~料理にはあんまり自信がなかったから…それを聴いて安心しました」


最後に「ありがとうございます」と付け加えて、星空を仰ぐようにして歩く。不意に、大佐が「昔…戦場で」そう、話を切り出した。わたしはすぐに空を仰ぐのを止めて、はい、と返事をした。「ウィンリィ・ロックベル…彼女の両親を殺めたという話をしたのを覚えているね」そう言って、ため息を吐く。わたしはそんな大佐を横目に見ながら、記憶を手繰り寄せて「はい」と返した。


○…きみは…もしきみなら、どうしただろう?やはり、同じようにしたと思うかね」
「わたし、は…わたしなら…殺さなかったと、思います…。
 いずれ、助けたそのひとと合間見えることがあるのなら…少しでも、犠牲の少ないほうを選びたい…いいえ、選びます」
「…ああ、○らしい答えだな…それを聞けてよかったよ」


大佐はこの話はこれで終わりだというようにもう一度ため息を吐き、少しまえの○とおんなじように星空を仰いだ。気温は低く、空は ―― ふたりの頭上に広がる夜空は、澄み切った空気の中、煌々とそのちいさな光の輝きを増していた。ほんの少しだけ、心の中が暖かく、穏やかな気持ちで満たされたような、そんな気がした。

ゾンネを片手に夜をゆく