「よお、。具合はどうだ?」くるり、と丸い椅子をひねってこちらを振り返る男性は、20代後半くらいにみえるのに、20代前半だという話を聞いたときには素直に驚いたのを、いまでもハッキリ覚えている。「御子柴先生こんにちはっ。最近こんな感じで、だいぶん良いんだよ」高校生三年生のわたしは、腕を広げて元気であることを証明するのだけれど、先生には苦笑されて終わってしまう。 「でも、だからと言って無理は禁物だぞ?いつ容体が悪化してもおかしくないんだから」 「む−、分かってるよ−」 「まあ、俺なんかよりものほうがいちばん良く分かってるだろうけどなあ」 「先生…?」 「ん?なんでもねえよ、じゃあ早速きょうの診察をはじめるとするか」 御子柴先生はそう言って、浮かべるだけの笑みを浮かべると、ペンライトを取り出しての眼球と咽頭を調べ始めた。それからいつものように聴診器で胸の音を聞いたり、問診をしたり。そして、ころ合いを見計らったように ――― 「ああ、もちろん外出は控えるように」というのが日々の常だった。「ええ−!遊びに行くのもだめなの?」そのたびにはそう言って反損するんだけれども、御子柴先生は必ず「だ−め−だ!」と言って生真面目な顔をする。 「確かに喘息が起きるのはツライけど−、外出出来ないのもツライよ−」 「きょうだって、親御さんに送り迎えしてもらっているんでしょう。学校と受診以外の外出はだめです」 「御子柴先生のケチ−」 「あのなあ、いろんな発作が起きてくると、その分手術も大変になるんだぞ?ベッドに張り付けられるんだぞ−?」 「うっ…それは…嫌かも…」 「な?これやるから、我慢我慢」 「またそうやって子ども扱いする!わたしもう高校生なんですけど−!来年大学生なんですけど−!」 「俺からしてみれば、どっちもガキみたいなもんだ」 お互い子供みたいな言いあいのあと、だけれどはやっぱり、おとなしく御子柴先生からキャンディをもらって、ぽんぽんと頭を撫でられる。最初はそれがすごく、すごく嫌だったんだけれど、不思議と最近はそれほど嫌でもなくなった。以前はよく両親にも「がんばったな」ってやってもらっていたから、先生にも同じことをされるのが嫌だったのかもしれない。最近は両親も忙しくて、他人に頭を撫でられるなんてことされてないから、こんなふうに思うだけなのかもしれない。それに ――― 「先生に撫でられると、なんか安心するんだよね」御子柴先生がカルテに問診を記入しているのをなんとなく眺めながら、聞こえないようにそっと呟いた。 「ん?、なんか言ったか?」 「う、ううん!なんでもないですっ」 「そうか?勉強しすぎて熱出すなよ?」 「そ!そこまで子どもじゃないもん!!」 「ははは、冗談だ冗談。ほんと、はからかい甲斐があるよなあ」 「む−、御子柴先生やっぱりキライ」 「なんとでも。こう見えても俺、結構人気あるんだぜ?」 「だからなんだって言うんですか−!キライなものはキライです−!」 「へええええ?じゃあ俺、気になってる看護婦さんに声かけてみようかな−?」 「お好きにどうぞ−先生さま−」舌を出しながら、通学用かばんを手に下げる。「まったく生意気な…薬、ちゃんと飲めよ!」御子柴先生のその言葉を背に、は「分かってます−」と言って、先生の診察室を出る。昼すぎとあってか、ひとの出入りは少ない。入院患者さんも、ちらほら見かけるくらいで、まばらだ。むしろそれくらいで良かった、とは心の中で安堵した。 ――― だって。ひとがたくさんいたら、誰かひとりくらいはわたしの涙に気付くひとがいたかもしれないもの。 「 ――― おかしいよ、なんでこんなことで涙が流れるの…?」 壁に背を預けて、体育座りをする体勢になる。涙なんて、とうに枯れたと思っていた。もう二度と、流れることなんてないと思っていた。それなのに ――― どうしてこんな、なんでもないようなことで涙があふれるんだろう。あまりにもおかしすぎて、笑えてくる。ただ思いのまま、「キライ」って言っただけなのに ――― それも、ただの冗談だって思っていたのに。こんなにも、胸が痛いなんて。「おかしいよ、わたし…」うずくまったまま、ただひたすら、わけが分からないまま涙を流した。そうしてそれから、一時間くらいが経っただろうか。ついには、涙の意味に気がついた。病院を振り返り、自分の主治医である彼 ――― 御子柴笑太の名前をつぶやく。ひょっとしたら、彼は気付いていたのかもしれない。だから、あんなからかうようなことを言ったんだろうか。目覚めたばかりの自分には、分からないことだらけだった。 necessary is you |