秋晴れ。そう呼ぶにふさわしい、ある日の任務帰りのことだった。任務を終えたばかりの少女 ―― は、諜報員としての仕事を終えて、ふと空を仰いだ。 「良い天気…」ポツリと呟いて、大きく背伸びをする。ずっと車の中で仕事をしていた所為もあって、かなり疲労も蓄積されていたためか、あくびが出た。 予想もしていなかった出来事に、内心で驚きつつ仕方ないか、と思うことにして、は再び車の中に乗り込んだ。 きょうは班長とともに現場検証を手伝っていたのだが、予想以上に梃子摺ったためこんな時間になってしまったのだ。「お疲れさん」不意に肩が暖かくなったと思うと、すぐに冷たくなった。

「総隊長、ご苦労様です」
「おう。さすがのお前も疲れたろ、半日ずっと現場だったからなぁ…始めは、短時間の予定だったんだろ?」
「さすがのってどういう意味ですか。何かご不満でも?」
「いや?ちょっと慣れない顔を見た所為か集中できなくてな−」
「…要するに八つ当たりですか。陰湿ですね、総隊長殿」
「お前、相変わらず可愛くないよなぁ…つかそんな言い方してないと思うんだが」

ケンカに発展するか、とはらはらしていたらしい柏原班長も、その空気を感じ取った御子柴がにそう声をかけたことによって、安堵したようだった。「お生憎様」はそう言って、少々乱暴にパソコンを閉じると、御子柴を一瞥した。ここまで本格的に総隊長とやり合える諜報員は、きっとくらいだろうと柏原は思った。「ま、第二の隊長よりは穏やかなほうか…」「だねぇ…」返ってくるはずのない返事に驚いた柏原は驚いて後方を振り返った。そこには、相変わらず笑みを浮かべたままの式部副隊長がいた。

「お、お疲れっす副隊長…」
「うん、お疲れ様。なに?ちゃん機嫌悪いの?」
「え?さぁ…そうでもないと思うけど。見てのとおりだろ?」
「ふうん…?正直に言わないと、さっきのこと藍川さんにバラしちゃうよ?」
「え、そっち?じゃなくてそっち?」

ちゃんに言ってもほめ言葉にしかならないからね、と式部は言い、くすくすと浮かべるだけの笑みを見せた。「冗談だって」式部副隊長はそういうものの、あれはちょっと本気っぽかったと思う柏原なのだった。 「どうかしたんですか?何か、楽しそう…」式部の笑い声を聞きつけたらしいがひょっこりと顔を覗かせ、まじまじとふたりを見比べた。「ちょっとね、ちゃんと総隊長の絡みがおもしろいなあって言うだけの話だよ」式部はなおも笑みを浮かべたままそう言い、ぽんぽんとの頭を軽くたたいた。

「…あ!そういえば。副隊長、誕生日おめでとうございます」
「あ、班長覚えててくれたんだ?どうもありがとう」
「え?式部副隊長、きょうお誕生日だったんですか?」
「うん。あ…そっか、ちゃんは配属されたばかりだから知らないんだ」
「はい、すみません…。誕生日、おめでとうございます」

がふんわりと笑みを浮かべながらそう言うと、式部も嬉しそうに微笑んで「どうもありがとう」と返事をしてくれた。 不意に、何かを思い立ったかのような表情を浮かべた式部は「そうだちゃん。今晩、時間ある?」と言って、ちょっとだけわざとらしく携帯のディスプレイを眺めた。「今晩、ですか?きょうはこのあと帰るだけなので何もありませんが」はそう言って、書類の束を抱えたまま小さく首をかしげた。

「だったら、出かけない?ちょっと付き合って欲しいところがあるんだ」
「付き合って欲しいところ?…美術館とかですか?」
ちゃん、美術館はだいたい9時までだよ?そもそも僕の付き添いイコ−ル美術館て、どういう図式?」
「…いや、すみません。式部副隊長のプライベ−トって美術館見回ってるイメ−ジしかなくて」
「あはは、だいたい当たってるけどね。きょうはちょっと特別」

式部副隊長は語尾にあとで迎えに行くよ、と付け加えて、そっと車を降りた。は相変わらず首をかしげたまま、足元に注意しながら車を降りた。「お−、デ−トか?式部副隊長もやるなぁ」そんな柏原班長の呟きが聞こえたような気がしたけれど、はあえて気にしないよう首を振って、諜報課へと向かった。 そうして、ずいぶんと日が暮れたころ ―― はふとデジタル時計を見て、時刻が午後8時を回っていることに気づいた。もうこんな時間なのか、と思い窓の外を見る。 いまはだんだんと涼しくなってきており、夜風も少しだけれど冷たく感じられるようになってきた。もう秋が近づいているんだなあと思うと、ほんの少し経つ時間の早さを感じる。

ちゃん、やっぱりここにいた」
「え?びっくりした…式部副隊長?あれ、私服…?」
「うん、折角のお出かけだし、たまにはね。それより驚かせてごめんね…ノックし忘れちゃって」
「あ…大丈夫ですよ。それよりどうしてわたしがここにいるって…?もう帰ってたかもしれないのに」
「いまのは思いつきだね?ちゃんが遅くまで残業してるって話、結構有名だよ?
 それに、きみが約束を破るようなひとには見えないし…そのためにわざわざ残ってたんでしょう?目印になるように」
「あはは…有名なんですか。やっぱり、式部副隊長にうそはつけませんね…、はい。そのとおりです」

がそう言って微笑むと、式部副隊長もまた少しだけ肩をすくめるようにして、頷いた。「外で待ってるから、早く支度済ませておいでよ」そう言って諜報課を出た。 着替えることを想定して、あんなふうに気を遣ってくれたのだと分かると、は「ありがとうございます」と呟いて、急いで机周りを片付け、着替えを済ませた。 時刻は8時半を回ったころで、法務省の外に出ると、やはりそこには式部副隊長の姿があった。は冷えているかもしれないと思い買っておいた缶珈琲を式部副隊長の頬にあて、「お待たせしました」と背後から声をかけた。

「うわっ?ちゃんか…びっくりした−」
「ふふ、すみません…さっきのお返しです。それより、お待たせしてしまいましたか?」
「ん?ううん、大丈夫だよ?ほんとうにちょっとの間だったし…珈琲、ありがとう。あったかいね」
「どういたしまして。じゃあ、行きましょうか?きょうは式部副隊長のお誕生日ですから、何処でもお付き合いしますよ」
「何処でも…?」
「式部副隊長のご想像されているところ以外でなら…に訂正します」
「警戒心が強いんだなぁ…大丈夫、変なところに連れて行ったりしないよ。こっち」

は式部副隊長の後ろを付いて歩きながら、彼の姿を見失ってしまいそうだ、と思った。黒い洋服に身を包んでいる所為か、次第に濃くなっていく闇の所為かは分からない。 だけれど、はそんなふうに思った。だから見失わないように ―― 無意識に、式部副隊長の服のすそをつかんでいた。「ちゃん…?」ふと式部副隊長の驚いたような声が聞こえ、ははっと我に返った。

「す…すみません。わたし…なにやってるんだろ…」
「良いよ、つかんだままでも」
「え…、驚いていたのに…理由、聞かないんですか?」
「うん。僕はちゃんみたいに夢想家にはなれないけど…それなりに分かるつもりだよ?ちゃんの顔を見ればね」
「わたしが夢想家に見えますか…」
「ははは、言い方が悪かったかな。う−ん…実はとても怖がりなのかな・程度には思ってたよ」
「同じ怖がりでも…少しは意味も違います…」

「うん、そうだね」式部副隊長はそう言って笑った。そしてまたまえを見つめて、ゆっくりと歩き始めた。まるで、の歩幅にあわせて歩いてくれているみたいだった。 怖がっていたのだろうか ―― さっきの自分は。確かに、式部副隊長が闇に溶けてしまうような不安感はあったけれども、それが「恐ろしい」と感じたかどうかまでは分からない。 ただ、消えないで ―― とは願った。普段、あんな儚い笑みを浮かべている式部副隊長だからそんなふうに思ったのかもしれない。もしかしたら、深みを増してゆくこの夜がそんなふうにさせてしまったのかもしれない。

「ついたよ」
「え…?ここ、?」
「うん。星が良く見えて、きれいでしょ?」
「はい…!」
「このままじゃ疲れちゃうから、寝転んで見ようか」

式部副隊長はそう言って、ひとり先立って地面に寝転んだ。もそれに習うようにして、ごろんと地面に寝転ぶ。肌に触れる草花が、ほんの少しくすぐったかった。 「きれいですね…。星空なんて見たの、ほんとうに久しぶりです」はそう言って、目を閉じた。そしてまた目を開くと、さっきよりも鮮明に星空が見えた。 そうしたら、不意に横から「理由…聞かないんだね」そんな、ほんの少し寂しそうな声が聞こえて、はほんの少しだけ式部副隊長のほうを振り返った。

「理由…?ですか?」
「うん。どうして誘ったのかとか、どうして自分なのかとか」
「そうですね…思うところはいろいろありますけど、この星空見たらどうでも良くなってしまいました」
「…良いんだ、どうでも」
「それでも教えてくれるというのなら、お聞きしますよ?」
「なんでかな…きみとこんな時間をすごしてみたかったのはまえからだけど…。
 どうしてだろう?こういうとたぶん、気まぐれにしか聞こえないよね…聞いておいてこんな答えで、ごめんね?」

顔を見なくても、ほんの少し寂しそうに笑みを浮かべているのが見えた気がした。どうか ―― きょうだけは、あなたの心が穏やかでありますように。 もしもあなたの笑顔に影を見つけたときは、そのときは必ず ―― 。

きっとあなたに会いにゆく