「お疲れ様です、さん」

書類を束ね、それらをファイリングしていたところに、先ほど任務を終えたばかりの藤堂の姿を見つけた。はゆっくりと微笑んで「藤堂君も任務お疲れ様」と言って彼を招きいれた。 ちょうど整理と事後報告に追われていた諜報課は、ひとりだった ―― いわゆる留守番、だ。そのために後片付けや書類の整理をしていただったが、 ドアにたたずんでいた藤堂に気づき作業を一時中断した。「作業しながらでも構わなかったんですが…」申し訳なさそうにそう言う藤堂を見やり、はゆるゆると首を振った。

「そう言ってくれるのはありがたいけれど、滅多に来ないお客さんだもの。お相手しないわけにはいかないわ」
「え?いえ…僕のほうこそ無理を言ってすみません…」
「あんまり良く分かってないって顔ね。でも大丈夫よ、みんな後始末に追われてるから…適当に掛けて」
「…失礼します」

藤堂はそう言って一礼し、隅のほうに腰を下ろした。それを何となく横目で見ていたは、彼に気づかれないようにこっそりとため息を吐いた。 また何かあったな、と直感が告げていた。藤堂が自分のところに来るときは、いま思い返してみればたいてい何かあったときしかない。 「何かあったの?御子柴君と」あえて御子柴隊長の名前を出し、話の先を促す。紅茶を入れながら、もうひとつのカップを藤堂に差し出す。

「どうして、そう思うんですか…?」
「わたしが思うに、藤堂君がここに来る理由は御子柴君か任務関連のことしか考えられないもの。違う?」
「それは…まぁ、もちろんそれもありますが…」
「? ほかにも何かあるの?」
「それ、は…」

まじまじ、と藤堂の様子を伺う。目線のやり場に困ったらしい藤堂は、その視線をそらそうとするかのように、何度か視線を泳がせたあと、うつむいた。 これじゃあ、自分が悪者になったみたいで、少しだけ気分が悪くなる。はゆっくりと息を吐き「まぁ、なんでも良いけどね?」と言って椅子を回転させた。 案の定、藤堂の「えっ…?」と言う驚いたような声が返ってきて、は笑いをこらえなくなってしまった。くすくす、と笑いながら再び藤堂と向き直った。

「何があっても、なくても、話してくれないなら同じことでしょう」
「それは、そうですけど…」
「それに、本人が話したがらないことを無理に聞き出そうとするほど、野暮じゃないわ」
さん…」
「ねぇ、藤堂君」
「なんですか?」
「この世でいちばん怖いものって、なんだと思う?」

言ってしまってから、刹那、空気が凍りついたような ―― 張り付いたような感覚に陥った。そんなの、気のせいでしかないかもしれないのに、変だ。 数秒経って、藤堂の「この世でいちばん怖いもの…ひとの、心…とか、ですか」と言う、どこか自嘲するかのような言葉が聞こえ、は一瞬目を見開いた。 けれどもほんの数秒後、は静かに微笑んで、頷いた。「最終的には、そうね。わたしはね、目に見えないものがいちばん怖いものだと思う」と言って紅茶をすすった。

「目に見えないもの…?」
「そうよ。と言っても、幽霊や得体の知れない何かじゃないのよ」
「それは分かってますけど…さんは、どうしてそう思うんですか?」
「あら?正解を答えてくれたのは藤堂君よ、これくらい分かると思ったんだけど?」
「え…、いや、あの」
「ふふ、冗談よ。ごめんなさい、ちょっとお遊びがすぎたみたいね。
 確かに、そう言う解釈も出来るけど…でも、目に見えないものが怖いってそんなふうに思ったことはない?」
「それは、一度くらいは…ありますが」
「ね。だったら、簡単なことよ?そう、ひとの心。誤解だったり恐怖心だったり想像力だったり…そう、いろいろね」
「あらゆる要因が捉え方次第で恐ろしくもなる…と」

淡々と回答を述べる藤堂の表情を伺いながら、はゆっくりと頷いた。「現に、それが犯罪につながることもある。分かるわよね?」念を押すようにそう言って、頬杖をつく。 藤堂は、その言葉の意味を確かめるように、けれどしっかりと頷いた。良くない妄想、執着、夢想 ―― そうしたものが、思想の世界を飛び越えて、現実となる。それがいちばんの脅威だ、とが話す。 その所為で、奪われる命がある。思いつめてしまったらしい藤堂に見かねて、はくるりと体の向きを変えた。

「ごめんなさいね、別の話なんてしてしまって…ほんとうは藤堂君のこと聞くつもりだったのに」
「え…いえ、気にしてませんから」
「そう?それなら良いんだけど…あのね、わたしのポリシ−」
「はい?」
「傷つけたくないなら、触れない」
「…それが、双方にとって有益だから?」

よく分かるのね。は内心驚いたように胸中で呟き、肩をすくめて頷いた。逆を言えば、触れさせてもらえるなら、何処までも入り込むということだ。 話す勇気があるなら、心の中を侵略される ―― 知られる覚悟が必要だということだ。それに伴うリスクを負う覚悟もある、とは話しているのだ。 漠然とだが、そんなふうに思えた藤堂は、少しだけ顔を上げて「さんは…優しいんですね。それに、強い」そう言って、紅茶を飲み干した。

「優しくなんかないわ、まして強くもない。これは、わたしの経験に基づいてつくられた鉄則みたいなものよ」
さん…あの…なんだか、」
「藤堂君がそんな顔する必要ないのよ。ごめんなさい、うまい言い方が出来なくて…もっと気を使ってあげたいんだけど」
「そんなこと…!こ…こうして話してくれるだけで十分です」
「藤堂君…ありがとう。そろそろみんなが戻ってくるころね、帰り道、気をつけて」
「あ…はい…きょうはお邪魔しました」
「また、いつでもいらっしゃい」

はそう言って立ち上がり、藤堂の背中を入り口付近で見送る。彼の心が、少しでも穏やかになることを祈るように、両手を胸元で包みながら。

ノンノ、もしくはシュ−ニャ