「式部隊長、こんにちは」
ちゃん、こんにちは。仕事中なのに、ごめんね」
「大丈夫ですよ。御子柴隊長に何か言われたんですか?」

そう言って、くすりと微笑む。式部隊長のそばには、片時も離れようとはしない、例の少年 ―― ケイ君の姿があった。 声が出ない、出せないらしいが、は不審に思っていた。目の前でひとが殺される場面を見たわけでもないだろうに、何故。は小さくため息を吐いて、少年とおんなじくらいまでしゃがんで、ニコッと微笑んだ。

「こんにちは、ケイ君。わたしはここでお仕事してるよ、よろしくね」

手を差し伸べると、少年はこくんと頷いて、おもむろに自らの手を差し出し、握手をしてくれた。小さく、頼りない手は、幼いこどもそのものだ。 だけれど ―― は、ほんの少しだけ眉間にしわを寄せた。式部隊長から人形狩りに襲われたと報告があったとき、違和感を覚えた。 この少年の出現もそうだけれど、あまりにも都合が良すぎる、というか出来すぎている。その違和感はどうやら五十嵐課長や柏原班長も感じていたようだ、と思えた。

ちゃん?どうかしたの?顔が険しいけど…?」
「え?…ううん、ごめんなさい、なんでもないの。ちょっと考えに煮詰まっちゃって…でも平気よ」
「そう…?それなら良いんだけど…ちゃん、ひょっとしてこの子のこと…?」
「まだ…確信は持てないですけど」

はゆっくりと縦に首を振って、そう言った。さすが、式部隊長 ―― 察しが良い。いや、自分が分かり安すぎたのだろうか。 それは分からないが、ともかく、式部隊長が危険にさらされているのは逃れようのない事実だ。こちらの心情を察してか、式部隊長は「…大丈夫だよ」と言って、 いつものきれいな笑みを浮かべた。確かに、式部隊長なら大丈夫だろうと思う。けれど…(不安になるのは、どうしてだろう?)

「じゃあ、ぼくは行くね。仕事、がんばって」
「ありがとうございます、式部隊長。ケイ君も、またね?」

がそう言うと、少年はゆっくりと頷いてばいばい、と小さな手を振ってくれた。あんな小さな子が ―― こんなことは考えたくないが、これが現実なのだ。受け入れるしかない。 自分だって、警察にいて犯人のこどもに狙われたことが一度もないか、と聞かれればうそになる。「仕返し」そんな生々しい言葉に心臓を鋭くえぐられたような気がした。 この犯罪の連鎖を断ち切ることなんて、きっと出来ないだろう、とも思う。「仕事に戻ろう…」力なく呟いて、覚束ない足取りで鑑定室に向かった。何も出ないことを、願いながら。

「どうだった?」
「予想通り、彼は意図的にこちらに乗り込んできたようです。彼の両親は…人形狩りの人間でした」
「ハァ…そうか。厄介だなぁ…こういうのってさぁ」
「そうですね…、嫌な連鎖反応が続かないと良いですね…」
「そ−だな…っつかなんでがんな顔してんの?」
「…はい?」
「泣きそうな顔してるように見えたけど?」
「気のせいですよ。第一このわたしが人前で泣くように見えますか?」
「ははは、そりゃあ一理あるな!おまえ、ぜったい人前で泣くようなタマじゃないもんな」

数時間後、鑑定結果を報告するために柏原班長のもとを訪れてみれば、そんなことを言われてしまい、はなんとも複雑な心境になった。 それにしても ―― さっきの柏原班長の「泣きそうな顔をしているように見えた」という言葉には、正直驚いた。このひとがそれほどひとを見ているとは思えなかったし、 何より自分自身、自覚していなかったことがいちばんの理由だった。無意識のうちに、警察にいたころのことを思い出していたからだろうか。不思議だった。

「柏原班長…」
「ん、どうした?」
「わたし、念のため目の部屋に行っておきます…!」
「そりゃ良いけど、なんでまた?念のためってなんだ?」
「式部隊長が心配なんです…、あの子、何か裏があるような気がして…行って来ます!」
「おい、!?ったく…相変わらず勝手なことするな−、もう!」

否定しないけど、と呟いて、柏原班長はパソコンに向き直った。恐らくは自宅にいるであろう、式部隊長に連絡するために。 数時間後 ―― 式部隊長の通報により、事態は撤収された。諜報課の予想通り、あの少年は人形狩りにいた両親のこどもで、式部隊長に「仕返し」するためにきたのだと言った。 「ありがとね、ちゃん…おかげで油断せずにすんだよ」事件解決後の翌日、少しだけ元気の戻った式部隊長は出勤したばかりのにそう言った。 だからは多くを語らずに「ご無事で良かったです」とだけ言った。式部隊長は力なく微笑んで「うん、ありがと」と言って空を仰いだ。きょうは、嫌になるくらいの晴天だ。

「ねぇ…ちゃん」
「はい、なんですか?式部隊長」
「きみは…この仕事どう思う?こんな仕事でも、誇りを持てる?」
「式部隊長…?先日の事件のこと、気にしてるんですか?」
「あはは、ちゃんには分かっちゃうんだなぁ、やっぱり」
「それは…どういう…?」
「何となくね、ちゃんなら知ってるような気がしたんだ…いまの僕みたいな気持ちをね」

そう言って、式部隊長はまた力なく微笑んだ。知っている ―― 分かってる、こんな気持ちなら誰よりも。どうやら、式部隊長は自分を疑っているわけではなく、 直感的な感情で話をしているのだと判断したは、小さく深呼吸をして「わたしは…この仕事を、誇りに思います。つらいこともあるけど、救われることもある。 恨みを買うこともあるけど、幸せなこともある」そう、言った。言ってみて、戦争みたいだ、と自嘲した。まるで、戦争みたいだ。ほんとうに、なんて世界なんだろう。

「うん…そうだね。いまなら、何となく分かる気がする」
「式部隊長…大丈夫です。式部隊長はおひとりじゃないんです…いっしょに背負う、仲間がいます」
「うん…だから…ちょっとだけ肩、貸してくれないかな?」
「え…?式部隊長…?」
「ごめん、すぐ終わるから…少しだけ空…見てて」

肩が、じんわりと重たくなった気がした。服の繊維が、式部隊長の涙を吸い込んでいるのだと遅れて感じたは、彼に言われるまま空を仰いだ。空は雲ひとつなく、限りなく近く感じた。

賛歌の爪痕