ここ、といわれたので付近で車を止め、眠りかけている御子柴隊長の肩を支えながら車を降りる。するととんとんという階段を下りてくる音が聞こえ、はぱっと顔を上げた。そこには、もう一ヶ月ぶりとなる、級友の姿があった。彼は、驚いたふうに目を見開いて、と御子柴隊長を交互に見つめていた。 無理もない、とは思う。真夜中に呼び出しがあり、任務遂行完了したのは、つい先刻の話なのだ。そして、何故が第一部隊の彼を送ることになったのかと言うと、 資料提供のために部長室を偶然通りかかったが、第一部隊 ―― とりわけ、式部副隊長と五十嵐課長、双方のお願い(しかも三上部長のめのまえで)を受けたからだった。 三上部長のまえとなると、さすがに断るわけにもいかず、渋々といった感じでが彼を送り届けにきた、という具合だ。

「あら蓮井警視…どうもこんばんは」
「う−頭痛ぇ…、下ろしてください…」
「御子柴君…はいはい、分かったからちゃんとあのひとのところで寝なさい?」
「なんで命令形なんですか…、まぁ良いですけど。…きょうは、ありがとうございました…」
「どういたしまして、御子柴君。きょうもお疲れ様」

皮肉を込めてそう言って、ぽんぽんと背中をたたく。「痛いです…」と言う御子柴隊長を蓮井に引き渡すためにまえに進み出る。その表情は依然驚きを隠さないままで、 尋ねたいことがすべて顔を見るだけで分かってしまうほどだった。はくすりと微笑んで、重たい肩を蓮井に引き渡した(蓮井君も、こんなひとといっしょに住んでるなんて、大変ね)

「あ…こんばんは。って、笑ちゃん!?なんであの子といっしょ!?」
「御子柴君、なんか送ってる途中に眠っちゃったの。さっきまで起きていたんだけど…限界だったみたいね」
「あの…どうも、ありがとう」
「どういたしまして。それよりも警視、顔色が良くないわよ?大丈夫?」
「だい、じょうぶだ」
「そう?だったら安心したわ。眠れないのは仕方ないけど、寝なさすぎるのは良くないわ」
「…っ、ああ。分かった…すまない」
「良かったらこれ、もらって。落ち着くわよ」
「…ありがとう」
「お礼、言われることなんてしてないわ。じゃあ…御子柴君も警視も、おやすみなさい。良い夢を、ね」

そう言ってふたりに背を向け、ひらひらと手を降る。その背に、蓮井の「名前を呼べないのは…キツイな」と言う呟き声が届いたのは、聞こえなかったことにしよう。 仮にも御子柴隊長のまえだ、不審を抱かせるような言動や行動は任務に影響を与えないためにも慎むべきだ。は部屋へと戻っていくふたりを見ながら、小さくため息を吐いた。 「蓮井君…、ごめんなさい」自分の所為ではないのに、そんな謝罪の言葉が自然と声に出た。「それにしても…あの御子柴君が敬語とはねぇ」ハンドルをきりながら、ぽつんと呟く。 いくら姿をごまかすためとはいえ、さすがに無理があるだろう、とは笑ったが、本人のまえでそんなことを言ったら何を公言されるか分からない。そうして、翌日。

「よ−、新人諜報員」
「あら、御子柴隊長…おはようございます。お加減はいかがかしら?」
「ああ、悪くねぇよ、おまえのおかげでな」
「そうですか、それは良かったですね。式部隊長も藤堂君もおはようございます」
「おはよう、ちゃん。きのうは無理言ってごめんね、きみも任務帰りだったのに」
「それはお互い様ですよ。むしろお役に立てて光栄です」
「よく言うぜ、このモグ…んぐ?なにしやがるっ」
「朝ごはんよ。その様子だと、寝起きみたいだしね」
「あ、さんおはようございます。あの、どうして分かったんですか?」
「え?ああ…ふらふらしてるもの、すぐ分かるわよ。目も覚めてないみたいだし?」
「チッ…おしゃべりめ。その減らず口利けねぇようにしてやろうか」

そう言って拳銃に手をしのばせる御子柴隊長を見据え、は「冗談、総隊長とやりあうつもりなんて微塵にもないわ」と言って去り際に彼の手首を思いっきりつねった。 直後、御子柴隊長の「痛ぇ!」と言う悲痛な声が背中越しに聞こえた。はくすりと微笑んで「目も覚めたでしょう、御子柴隊長?そろそろ報告の時間じゃないですか?」と言い放った。 後ろのほうで、式部隊長の「ほら、ちゃんの言うとおりだよ。羽沙希君も行こう」と言うあきれたような声が聞こえて、は「ほんとうに困った隊長さんね」と呟いた。

「はぁ…なんなんだよあのくそ女…」
「なに?まだちゃんのこと怒ってるの?」
「ったりめぇだ。諜報員のくせにちょっかい出しやがって…むかつく!」
「御子柴隊長、さんだって隊長を心配してるんですよ」
「心配だぁ−?おまえにはあれが心配してるように見えんのか?清寿も止めろよ」
「ごめんごめん、なんかタイミングが…でも不思議な子だよね、ちゃんて」
「あ−、まぁなぁ。すべてにおいて謎な女だ、あいつは」
「それはどうも、総隊長のお褒めに預かり光栄だわ」
「うげ!…なにしてんだそんなところで?」
「たまたま通りかかったの。それじゃあ、みんな任務がんばって、検討を祈るわ」

はそれだけ言って敬礼をし、御子柴隊長を除く隊員ふたりが敬礼してくれているのを微笑ましく見つめてすぐ、その場を立ち去った。 ただ通りかかっただけ、というのは、実はうそだ。ほんとうは、蓮井とのことを聞くつもりだったのだけれど、聞けるタイミングではないと思ったために退いた。 警視庁の蓮井と特刑の御子柴隊長が奇妙な同居をしているということは、公安にいたときから知っていた。奇妙といえば奇妙だが、よくもまぁバレなかったものだと感心する。 それは恐らく御子柴体長が細心の注意を払っているからこその同居なのだろうが、には分からなかった。何故、危険を冒してまで蓮井といっしょにいるのか。

「蓮井君は御子柴君が特刑の人間だって知らないみたいだから本人には聞けないし…。
 っていうか知らないからこそ同居が続いてるんだろうけど…。調べる価値はあるのに、タイミングがつかめないわ」

柏原班長が現場と連絡を取り合っている最中に、手元の資料を眺めながら、はぽつりと呟いた。まるで、本人がそうさせまいとしているみたいだ。 そう考えるとは、背中にぞくりと悪寒が走る感じがした。不意に柏原班長と目が合い、はあはは、と乾いた笑い声をあげながらひらひらと手を振った。 ここの諜報員 ―― 特に、五十嵐課長や柏原班長なんかは、妙に目ざといところがある。そしてそれは、任務上ではとても必要なことだけれど、いまのにとっては邪魔以外の何ものでもなかった。…だからこそ、

「…気をつけなくちゃ」

そっと、ほんとうにそっと呟くようにそう言って、は仕事に集中した。暗闇はまだ、揺らぐことなくこの場所にたたずんでいる。

嘘で固めた芸術がこの陥没した暗闇に群がればいいのに