「 ―――待ち合わせですか 」
「 あ、はい 」


 背中越しに声をかけられ、やんわりと微笑んでみせると、眼鏡をかけた小柄な男性は盛大に肩を落としてレジのほうへとぼとぼと立ち去って行った。所謂ナンパだ。それでも彼女の表情が晴れないのはきっと待ち人は”来ない”だろうことが安易に想像できるからだ。時刻は21:30 ――― 薄桃色の腕時計を見下ろし、もう何度繰り返したかわからない行為に嫌気がさしてくる。自然と、ため息もこぼれる。もうこんな待ち合わせにも随分と慣れたけれども、やはり不安はぬぐえない。
 《大きな山場が片付きそうだから、久しぶりに夕飯でもどうだ》と嬉しい申し出があったのはつい先日のこと。彼は忙しいひとだから、念のため《無理しなくていいよ》とメッセージは送ったのだが、忙しいのだろう、彼からの連絡はそれきりになってしまった。それも、いまとなっては慣れたものだ。


「 ・・・降谷くん、 」


 だいじょうぶかなと続きかけた言葉を寸で飲み込む。彼のことだ、きっとだいじょうぶ ――― それもわかっている。どんなに傷だらけになっても、どんなに自分が疲れ切っていても、どんなに遅い時間になっても、きっと来てくれる。もちろん、わかっている。それがたとえ、久しぶりのデートが嬉しくて勝手に5時間以上待っていたとしても苦にならないくらい、待てる自信はあった。それくらい、彼のことが好きになっていたのかと思うと、驚く反面嬉しくて笑みがこぼれた。だってそれは、それだけいっしょにすごす時間が長くなったということの表れでもあるから。
 ―――でも、と、最近知り合った女子高生を思い浮かべる。毛利蘭。彼のもうひとつの仮面、安室透が働いている喫茶ポアロの常連で、かわいくて気立ても良くて、優しいお嬢さん。「幼馴染くんがいつまでたってもこなくて、それでも待ってたって言ってたなぁ」頬杖をついて、半分ほど残ったエスプレッソを口に含む。忙しく、手の離せない彼をもつとお互いたいへんだと冗談まじりに話すと「○さんみたいに、彼氏とかじゃないですよっまだっ!」と、顔を真っ赤にして反論されたことがあった。念相応で可愛らしいお嬢さんだ。探偵の父親が溺愛するのも頷ける。
 22:00。少しずつ飲んでいたエスプレッソもそろそろ終わろうかという頃。○はまたひとつ盛大にため息を吐いて、腕時計に視線を落とす。いっそのことポアロに行ったほうがあえるだろうかと、諦めかけた、ときだった。


「 っ、○! 」
「 ふるや、く、 」
「 なんて顔をしてるんだ君は・・・って、そんな顔にさせているのは俺だよな。ほんとうに、すまない 」


 会えた安心感と嬉しさで、あふれた涙をこらえきれなくなってしまった。立ち上がってすぐ、謝罪のかわりとばかりに力強い抱擁に出迎えられる。ああ ――― 降谷くん。降谷くん。降谷くん。降谷くん、だ。あなたが謝る必要はないと首を振りながら、泣き顔をみられないように顔を埋める。


「 降谷く、ん、ほお、 」
「 ん?あぁ、すこし犯人とやりあったときにね。なに、ただのかすり傷だ 」


 君の心配には及ばない、と言われてしまい、一気にあふれていた涙が乾いていく。「降谷くん」「え?あ、はい」「そこ、座って」「?」「いいから」空いていたカウンターのいちばん奥に彼を座らせ、ええと、と大判の鞄から手慣れた様子で救急セットを取り出す。「い、いいって!君も仕事終わりなんだろう」「これは私の役目です」「・・・・はい」ひと睨みされ、もはや言い返す術をなくしてしまったらしい降谷零は、おとなしく手当を受けるに落ち着く。
 「手慣れたものだな」「そりゃあ私、看護士ですから」「いや、それは知っているんだが、そういう意味でもなく」ひらひらと片手を振っている彼に、じっとして、と一喝。「よし」」できた、と安堵したのもつかの間、今度はぐいっと男性特有の力強さで身体ごと引き寄せられる。気が付くと、降谷くんの整った顔がとても近くに、すぐ目の前にあって、一気に鼓動が早くなる。


「 ありがとう 」
「 ど、どういたしまし、て? 」


 降谷零の、これからしようとしていることが読めず目をぱちぱちさせていると、彼は満足そうに微笑んで○の唇に自分のそれを重ねた。カウンターのいちばん奥は、ちょうどスペースの死角になっていてみえない。というより、時間的に客足もまばらで、見られたところで恥ずかしくもなんともないのだが、これはあまりにも不意打ちがすぎる。
 「っ何を」「何って、お礼。あと、一生懸命な○があまりにもかわいくて」つい、といたずらっ子のように微笑む彼の表情は、前に偶然ポアロで見かけた安室透の笑みのようだと、○は小さく嘆息した。
 相変わらず、近いのか遠いのかよくわからない男だ。





四季のどこかにはいるはず