「 ん・・・・・ 」

 ひんやりとした空気に、思わず身震いをする。あたりを見回すと太陽はすっかり沈んでいて、かわりに銀色の淡い光だけが、優しく室内を照らしていた。「夜・・・・・」どうやら泣き崩れて、泣きつかれて、そのまま眠ってしまったらしい。実感こそはまだわかないものの、妙に臨場感のある痛みだけが、いまもなおこのちいさな胸の内を締め付けている。
 「工藤君・・・・」スマ−トフォンのディスプレイで笑顔のふたり。まだ”仲良し”でいられたころの、わたしと彼。「”蘭のことが”」親友の顔が目に浮かんで、また目頭が熱くなった。「”蘭のことが好きだから。おまえの気持ちにはこたえられない”」そういった、彼のまっすぐな言葉、声色、眼差し。そのすべてを、わたしは知ってた。知ってたよ。だからこれはわたしのわがまま。自己満足。それなのに―――「”でも、の気持ちはすげぇ嬉しい。ありがとう”」と最後に精一杯の笑顔をみせてくれた。ああやっぱり、わたしはまだあのひとのことがすきなんだと、銀色の滴が頬を伝う。


「 二日目の夜ですね 」
「 っふ…だ、れ、 」


 不意に、カ−テンがすこし大げさに揺らめいて、”それ”は姿を現した―――。
見覚えのある、白いシルクハットに、白いマント、白いグロ−ブ。そう、彼だ。「怪盗、KID、」「あなたのようなかわいらしい御嬢さんに名前を覚えていただけているとは。光栄です」目頭の涙を優しくぬぐいながら、おそらく彼はこの夜に負けずとも劣らない不敵な笑みを浮かべた。「今夜は泣きたい気分なの。放っておいてくれる」「正論を述べるならば”今夜も”ですね」ゆるゆると顔をあげて、軽く一瞥する。もう一言文句を言わないと帰ってくれそうになかったので、ひとつ声をあげてやろうとした、そのとき。
 ―――ポン!「えっ」「あなたには、笑顔がいちばんですよ」瞬きをしながら突然降ってわいたような一輪のバラを眺めている間に、”白い彼”は姿を消していた。「もう来るなって、ひと言文句を言ってやろうと思っていたのに」言葉の端に、優しく口角は緩んでいった。





 「また来たの」「まだあなたのお名前をうかがっていません」午前0時の少し前。”白い彼”は決まってそれくらいの時間に訪れる。決まって世間が予告状でにぎわったあとだから、仕事のあとなのだろうと容易に想像が出来た。背丈は成年男性くらいで、年齢は―――どうだろう、わからない。たった2回の逢瀬では、やはり得られる情報は少ない。「わたしのことを知りたいのですか」こちらの心境を見透かしたかのように、嫌な笑みを浮かべながら飄々と話す怪盗KID。「でしたらあなたから名乗るのが筋というものでは?」ごもっともなことを指摘され、ますますいらだちが募る。理由はもちろん、それだけじゃあない。似てるんだ。自分を振った彼――――工藤、新一君とも。穏やかな口調も、物腰も、相手を見透かしたようなまなざしも、そしてなにより、容姿や声色も。わたしはすこし大げさにため息を吐いて、ご丁寧にも不法侵入者に挨拶をする。


「 ――― わたしは。帝丹高校二年。もっとも、ある程度のことは知ってそうだけどね 」
「 とんでもございません。あなたのことを知ったのは、ほんとうについ最近なんですから 」
「 名乗ったわよ。これでもうあなたがわたしの部屋にくる理由もないでしょう 」
「 ・・・・・・・・・そうですね。でもあなたはわたしのことを知りたい。わたしもあなたのことを知りたい 」
「 いまの”間”は何。さすがにうじうじしてるわたしがうっとうしくなったとか 」


 トン、と静かに窓辺に着地した彼、怪盗KIDは、丁寧に靴を脱ぎながら、これまた器用にバランスをとりながらサッシのうえに座り込む。どうやら言葉と行動が一致していないらしい。私は相変わらず泣き疲れた顔を隠そうともせず、羽織ったままのブレザ−を脱ぎ、ハンガ−にかける。夜風もずいぶんと生ぬるくなってきていて、軽くお風呂に入りたくなってくる。しかし妙な客人(しかも男性)がいる手前、無防備になるには不用心すぎる。「いいえ。飽きませんよ、あなたをみていると」「物好きな怪盗さん」わざとらしくため息をついて、少し待ってて、と言って部屋を出る。バラのお礼に、お茶でもと思いキッチンにたつ。数分で部屋に戻ると、まじまじと先刻のバラを眺めている怪盗KIDの姿があった。


「 ああ、お構いなく 」
「 どうしたの?あなたがくれたバラなんでしょう 」
「 ええ。きちんと飾ってくれているんだなあと、嬉しくて 」
「 せめて、枯れるまでは面倒をみてあげようかとおもってね 」


 強がりを言いながら、ホットミルクを注ぐ。仕事のあとなら、彼もこれでぐっすり休めることだろう。私も正直、そろそろ泣き疲れて眠る行為に飽きてきたところだ。「優しいんですね、は」「いきなりため口か」「だって同い年でしょう」「うそでしょ」「二度は言いません」含み笑いをして、ホットミルクをすする。うん、美味しいと微笑む彼は、月夜に映えていてとてもきれいだった。思わず、見入ってしまいそう、な。「?どうしました」「ん−ん。このすっきょうとんな逢引はいつまで続くのかなって」「あなたの笑顔がみられるまで、ですよ」「えぇ?」不意に近づく、甘い声音。甘い息遣い。思わず、身震いしてしまいそうになる。ぽす、と帽子をかぶせられて、あわてて顔をあげたころにはもう、やはり彼の姿はなかった。


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 「なんなの、この間のあれ」「深い意味はありません」予告状で世間が賑わったその日の晩、彼はこりもせず現れた。どうやらほんとうに、わたしに笑顔が戻るまで立ち去ってくれる気はないらしい。飽きもせずホットミルクをふるまう自分もどうかと思ったが、客人にもてなすのは日本に生まれた宿命のようなものだ。諦めるしかない。「バラ、元気に咲いていますね」「今朝、水を変えて、」「ありがとうございます」「なんであんたがそんな顔してお礼を言うのよ」「なんだか、お礼を言いたくなったので」ほんのちょっとさみしそうに微笑んで、ホットミルクをすする彼をみていると、こちらまでなんだかさみしくなってしまった。「それから、これも」「え?ホットミルク?わたしがすきだからついでに入れただけなんだけど」悪態をつくと、彼はくつくつとのどの奥で楽しそうに笑いながら言葉を続けた。


「 あなたはわたしが仕事帰りで来ていることを知っていた。
  だからわたしが少しでも休みやすくなるように、考えながら入れてくれていたんでしょう? 」
「 みてたの? 」
「 いいえ。ほんのすこし考えればわかることです。あなたはほんとうに、心の優しいひとですから 」
「 買いかぶりすぎだと思うけど――― 」
「 そんなあなただから、またあなたを”好きだ”と言ってくれるひとに、出会えるとおもいますよ 」


 ポソッと、耳元で甘く優しく震える振動に、思わずぎゅっと目を閉じる。「わたしもまた、あなたのきれいな涙に魅了された人間のひとりなんですから」甘やかな振動が鼓膜を離れて、唇に優しい熱が触れる。「っ!?」「さようなら、わたしのかわいいお嬢さん」瞬きの刹那、バサバサと音を立てながら舞う白い羽根とともに、不法侵入者は姿を消した。「度を過ぎた変態なのか単に気障なだけなのか・・・・・よくわからないやつだったなあ」それでも、ひとつだけいえるのは――――「ありがとう。なんだか、元気が出てきた気がするわ」翌朝。微笑んで、太陽の下、ブレザ−を羽織る。まぶしい初夏の太陽をゆるく仰いで、少女は優しく微笑んだ。



が落ちても大丈夫