先日から細い線を引いている雨は激しさを増し、ザアァ、と大袈裟な音を立てて地上に降り注いでいる。「きょうは来ますかね、彼女」よく降りますね、とでもいうようにぽつりと、誰にともなくつぶやかれてしまった。この喫茶店・ポワロでいっしょにアルバイトをしている彼女は、驚いて振り返る僕をみて、くすくすと笑みなんかを浮かべている。 「 誰のことです? 」 「 ほら、数日前の大雨の日に、安室さんが傘を貸した彼女ですよ 」 「 ―――あぁ、」 ため息をつくように短く言葉を返す。数日前も、きょうみたいな本降りの雨が降っていて、バイト前だという少女と他愛ない世間話などをしていたのだが、思い出したように彼女が「あぁ!傘忘れちゃった」と言ったので、貸し出し用の傘を手渡したのを、にわかに思い出した。「私はてっきり、一目惚れでもしたのかと思いましたよ」「えぇ?冗談でしょう」安室透は少しばかり困ったように笑みを浮かべながら生返事を返した。「だって、ずっとみていたじゃないですかー」キッチンの奥に引っ込みながら楽しそうに笑う彼女。だから、何度違うと言えば分るんですか―――思わず声を荒げそうになった、そのときだった。 ――― カランカラン、 「 こんにち…は? 」 「 あー!やっぱり噂はしてみるもんですね、安室さん! 」 「 ――――っだからっ 」 「 ふふっ珍しいですね、安室さんみたいなひとが声を荒げるなんて 」 「 ――――ご注文は 」 こめかみに、わずかに神経を切らせた気配を悟ったは、あわててメニュー表を見下ろす。とはいっても、がポワロで注文するものなんて、だいたい見当がつくのだが―――そこまで考えて、思いのほか余裕のない自分がいることに、素直に驚いた。「ホットコーヒーと、安室さんのサンドイッチ!」「僕の?」「はい!この間いただいた味が忘れられなくて!」まぶしい笑顔で言われてしまい、言い返す言葉もみつけられない。「安室さん?ご迷惑でしたら別の物に、」さすがのも心配になったのだろう、ゆるく眉間にしわを寄せて、覗き込むようにしている。(上目使い…っ!)安室透が目線のやり場に困っていると、キッチンに引っ込んでいたバイト仲間がひょっこり顔をのぞかせた。 「 ほらっレディを困らせるなんて安室さんらしくないですよっ 」 「 あ、あぁ。少々、お待ちください 」 ここは営業マンらしくぺこりと一礼して、おもむろにキッチンへ引き下がる。「安室さん?」「あの可愛らしさは・・・反則だ・・・」「お−い客が待ってるぞ−」バイト仲間が呆れながらコーヒーをいれている傍らで、半ば手荒くサンドイッチをカットしていく。「お待たせしました」「わ−いただきます。これを食べてからじゃないと精が出ないんですよね」ニコニコと嬉しそうにサンドイッチを頬張るをみて、能天気な人だと小さくため息を吐く。 「そうだ、これ」「はい?」「この間お借りした」「あぁ、わざわざありがとうございます」「きょうはちゃんと持ってきましたから」困ったように笑いながらビニール傘を差しだす。不意に、指先が触れた気がした。「・・・」「え?あっすみません、」「いえいえ、お気になさらず」ふと我に返り、あわてて社交辞令を述べる。 「 あ―美味しかった!また来ます! 」 「 え 」 「 だって私、安室さんのサンドイッチ食べないと元気でないんですもん!それじゃあ! 」 「 いってらっしゃい 」 レジ打ちをしながらバイト仲間がを見送る。「・・・・・」「本格的に恋に落ちた感じですか?」ぼんやりと雨の中に消えていくの背中を見送りながら、懲りずにちょっかいを出してくるバイト仲間を一瞥する。「さん、かわいいですからね−横取りされないようにがんばってくださいねっ」しまいにはウインクまでされてしまい、なんだかなあとまたひとつため息を吐く。「心配には及びませんよ」自分はいずれ、ここから消える身ですから―――間際で、その言葉を飲み込む。余計なことを言ってしまいそうになってから、かわりにほんのすこし、ほんのすこしだけ、さみしさがこみあげてくるのを感じずにはいられなかった。 デイドリーム・シネマ |