「僕が留守の間、彼女の相手を頼みたいんだ」 白蘭様にそう言われて、早二日。はじめてこの目で見たときは、ほんとうに嬉しそうに「はじめまして、リベラミオです。お世話になります」と笑みを見せてくれていたが、 日を追うごとにその笑顔は見られなくなり、わたしは少し ―― いや、かなり心配になった。何度か白蘭様の隣を歩いている様子を見かけはしたものの、ただでさえ初対面の人間。 すぐにお互い心を開くのが難しいと分かってはいたが、これほどまでとは思ってもみなかった。 「リベラミオ様、」 「リベラ、とお呼びください、シフォン様。白蘭様もそのように呼ばせなさいと言われていましたし」 「白蘭様が…?ですけれど、わたしもそれほどあの方と親しいわけではありませんし、」 「シフォン様を信頼している、というお話を伺ったことがございます。なによりあの方の命なら、わたしは受け入れられます」 「リベラ…」 呼んでしまってから、わたしはあ・っと声をもらした。不本意とはいえ、白蘭様のお気に入りである彼女の ―― 広く知れ渡っている愛称を口にしてしまった。 「ごめんなさい、わたしったら」わたしはそう言って、恐る恐るリベラミオを見つめた。だけれど彼女の表情はとても穏やかで、「はじめてわたしの名前を呼んでくださいましたね」と言ってその視線をわたしとおなじ目の位置にあわせてくれた。 ミルフィオ−レに入隊してからというもの、このときほど心から安堵を覚えたことはなかった。わたしが人と接するときはいつも緊張していて、γやユニ様と会う機会が減ってからと言うもの、それはひとから指摘されるより明らかだった。 だからあのあと「ありがとう、ございます…リベラ。わたしのことも、シフォンと呼んでください」という言葉が自然と出てきたのだと、あとになって気づいた。 「冷えますね、毎日…きょうは特別冷え込んでいるように感じます…」 「そうですね…雪でも、降るのかもしれません」 「雪、ですか」 「はい…雪です。シフォンは、雪をご覧になったことはありますか?」 ある日の午後、仕事を終えてリベラのもとを尋ねてみると、そんな会話が成された。確かに、きょうは雪が降りそうなほど寒い。外での任務はさぞつらいだろうと思いながら、リベラを見やる。 「あまり、ないですね。リベラは…?」テーブルに用意された紅茶をすすりながらそう尋ね、窓辺に目を向ける。冬の日没は早く、あたりはすっかり闇に包まれていた。 つい先刻まで編み物をしていたらしいリベラは「わたしも雪は、あんまり見たことはなくて…」と言って、少し寂しそうに瞳を伏せた。「雪、か」わたしはそう呟いて、なんとか見せてやりたいという気持ちになった。 思案を繰り返すうちに、ふと先刻仕入れたばかりの情報を思い浮かべて、わたしは「そう言えば、先ほど耳にしたばかりなんですが、」とリベラに話を持ちかけた。 「なんでしょう、シフォン」 「…もうすぐ、白蘭様がお戻りになるそうですよ」 「白蘭様が?」 「はい。良かったですね、リベラ」 シフォンがそういうと、リベラは「はい!ありがとうございます、シフォン!」と言って、これまでに見たことのないくらい、とてもまぶしい笑顔を見せた。 それほど嬉しかったのか・と思うと、話して良かったと思うけれど反面、もうすぐリベラとのこんな時間も終わってしまうんだな・という現実が思い起こされて、沈みがちになってしまう。 シフォンが黙り込んでいると、案の定「シフォン?どうなさったんですか?」という、リベラの気遣わしげな声が聞こえて、シフォンは「いえ…あの、」と言葉に詰まってしまった。 「白蘭様が戻ってくるということは…リベラとも話をすることがなくなってしまうんだなあ・って思ったら寂しくなってしまって」 「シフォン…ごめんなさい。わたし、シフォンのそんな気持ちも知らずに…」 「良いんです、リベラ。リベラの嬉しそうな顔を見たらわたしも嬉しかったですし…わたしも白蘭様の帰還は嬉しいです。でも、」 「シフォン、」 リベラの、シフォンの名を呼ぶ声を最後に、お互いに黙り込んでしまったふたり。「わがまま言って、ごめんなさい…リベラ。そうだ、わがままついでに」このままではだめだ・と思ったシフォンはそう言って、紅茶を飲み干すなり立ち上がった。 「シフォン?」何がなんだか分からない・と言った様子で首をかしげているリベラの手を引き、シフォンは「外に雪、見に行きましょう!きっともうすぐ降りますよ」と言って部屋から連れ出す。 「で、でも、外に出たら白蘭様が、」「大丈夫です。お話したらきっと分かってくださいますし、外は暗いですから。それに」外に出ることを必死に抗議するリベラに対し、シフォンは「あなたは絶対、わたしが守ってみせます」と言って微笑んだ。 リベラは、こんなにも力強く、まっすぐなシフォンの笑顔を、言葉を、いままでに見たことはなかった。それなのに、彼女のいまの言葉は信じられる・と素直に思えた。 「シフォン、なんでしょう…あの白いものは、」 「え…?」 リベラに言われて、歩みを止める。ちょうど玄関を出たところで、シフォンは「あ」と小さく声を発した。「雪…だあ」呟くように言って、手をかざす。 リベラはまるで、宝石を見つめるかのようなキラキラした瞳でその白いものを仰ぎ「これが、雪…」と言葉を発した。ほんとうに感動しているようだ・とシフォンには分かった。 こんなにもタイミングよく雪が降るとは、シフォン自身驚きだったけれど、なによりもリベラがあんなふうに感動してくれるとは思ってもみなかった。そのことが、いちばんの驚きであり喜びでもあった。 「ああ、降りだしたみたいだね」そんな、聞き覚えのある陽気な声が聞こえて、シフォンとリベラはまさか・とお互いに顔を見合わせた。 「ただいま、リベラ。シフォン」 「び…白蘭、様」 「白蘭様!おかえりなさいませ…!」 「うん、ただいま、ミオ。シフォンと仲良くしてた?…って、この様子を見れば聞くまでもないか」 白蘭はちらり、とシフォンを見やり、まるで「分かってるよ」とでも言うかのように頷いて、リベラの肩を抱いた。もうしばらくこの景色をふたりで見させてくれ、とも言っているかのようで、シフォンは「では、失礼します」と言ってふたりに背を向けた。 歩き出したシフォンの背に「ほんとうにありがとう、シフォン!また、お会いしましょう!」と言う、リベラの元気な声が聞こえ、シフォンは首だけで振り返って「ええ」と頷いた。 白蘭に肩を抱かれたままのリベラは、ほんとうに嬉しそうに笑顔を浮かべていて、シフォンは「ハッピ−エンド・っていうわけね」と呟いた。降り始めたばかりの雪は、当分やみそうにない。 銀色の夜が降る |