書類の束を棚に戻して、周囲を見回す。諜報課にはいま、柏原班長と助手のひとしかいない。自分を含めて、三人しかいないわけだ。 けれどもいまはそれほど非常時、というわけではないため、明未は腕時計を見て昼時なのを確かめ、「班長、先にお昼入ります」そう、ふたりの背中に声をかけた。 すると柏原班長は「お−、手短にな−」と言って、片手をひらひらと振ってくれた。ああいうところが、柏原班長なりの優しさなんだろうなと明未は解釈し「失礼します」と言って諜報課を出た。

「さて、と…藤臣さんは屋上よね…」
「なに?藤臣のところにいくの?」
「…上条隊長、任務ご苦労様です」
「うん。諜報課の新人さんは、いまからお昼?」

彼 ―― 第三部隊隊長・上条璃宮は、いつもの笑みを浮かべながらそう言った。明未はほんの少し眉間にしわを寄せるようにしながら、「ええそうですよ」と言った。 「だったらこれ、藤臣に渡してくれないかな」上条がそう言ってポケットから取り出したのは、黄色い飴玉だった。そういえば、藤臣は飴がすきだったのを思い出し、 明未はそれを受け取って「分かりました。ほかに伝えることがありましたら、伝えておきますけど」と言った。上条は少し何かを考える仕草をして、「喫煙は規則違反だよって言っておいて」と言い、またあの笑みを浮かべた。 あの笑みを見ると背筋が冷たくなる気がして、明未はあまりすきにはなれなかったが、はい、と返事をして、足早に屋上に向かった。藤臣がいるとすれば、きっとそこだ。

「いた…、藤臣さん」
「ん…?及川?なにその、気だるそうな顔…?」
「あ、ごめんなさい。さっき、上條君に会ったの…それで、これを預かって来たわ」

明未は屋上の扉を閉め、藤臣のほうに近寄って、つい先ほど上条から預かったレモンの飴玉を差し出した。すると藤臣は少しだけ目を細めて、吸っていたタバコを地面に押し付けた。 そうして飴玉を受け取り、三つのうちのひとつを開けて、それを口の中に放り込んだ。明未はその様子をなんとなく見つめながら、持ってきた弁当箱とポット、それから紙コップをふたつ地面に置いた。 「藤臣さんて、ほんとうに飴がすきなのね」明未はそう言って、自分の弁当箱を広げた。「うん。上条のくれる飴…すき」藤臣はそう言って、けれども物珍しそうに明未の弁当箱の中身を眺めた。

「?お弁当、そんなに珍しい?」
「や、及川が弁当持ってくること自体珍しい…」
「失礼ね…こう見えて、結構なんでも作れるのよ?あ、そうそう。言い忘れるところだったわ」
「??なに?」
「上條君がね、喫煙は規則違反だよって言っておいてくれって言っていたわ」

そういうと藤臣はげんなりとした表情になって、明未は胸中であ−、と呟いた。上條君、こうなることを分かっていて自分に言わせたんだわ。 明未はそう思い、こっそりとため息を吐いた。なんというか…上条は、確信犯だ(ええ、いまさらかもしれないけれど)明未は弁当をつまみながら、ちらりと藤臣を見た。 飴玉がなくなったらしく、ふたつめを開けようとしていたところで、明未はふと思い立ったように「そうだ、藤臣さん。紅茶、飲む?」そう言い、ポットを手に取った。 藤臣は少し考えるようにしながら、やがて開きかけた飴玉を地面に置いて「…うん」と言ってくれた。明未は「ありがとう。食べかけてたのにごめんなさいね」と言って、紙コップを藤臣に手渡した。

「アップルティ…。明未、すきなの?」
「え?ええ。紅茶はなんでもすきだけれど、アップルティは特にすきね」
「特別…。ほかには?」
「飲めるのはレモンティとかミルクティとか…ア−ルグレイくらいね。藤臣さんは?どれも平気?」

「…ん」藤臣はそう言って頷き、紅茶を半分ほど飲み干した。明未はその速さに目を瞬きつつも、なんだかおかしくて笑みを浮かべた。 「及川…なに?」藤臣の、そんな怪訝そうな声が聞こえ、明未は笑うのをやめた。「ごめんなさい…なんだかおかしくて」明未はそう言って、紅茶を飲み干した。 明未はポケットの中に飴玉が入っていたのを思い出して、ポケットの中を手繰り寄せた。入っていたのは飴玉が数個と、チョコレ−トがふたつ。 「…どれが良い?」明未はそう言ってポケットの中身を取り出し、藤臣に見せた。藤臣はしばらくそれらをまじまじと眺めたあと、飴玉をふたつほど指差した。

「レモンティ味とアップルティ味の飴玉、珍しいでしょう」
「…うん。ちょっと、食べてみたい」
「良かったら、どうぞ?わたしはきのうたくさん食べたから…。まあ、だからこれくらいしか残ってないんだけどね」

明未はそう言って微笑み、ふたつの飴玉を藤臣に差し出した。藤臣は嬉しそうに瞳を眇めて、それらを受け取った。明未は可愛いなあ、と微笑みながら、お弁当をすべて食べ終えた。 時計を見やり、30分すぎていることを確かめた明未は、いそいそと弁当箱を片付けて、藤臣に言った。「じゃあ藤臣さん、わたしそろそろ戻るわね」 ―― そういうと藤臣は、 「うん…飴、ありがとう。また、きてくれる?」そう言って、立ち上がった明未を見上げた。明未は一瞬目を瞬いたが、やがて「ええ、必ず」そう言って笑みを浮かべた。 藤臣は何か言いたそうにしていたが、あきらめたのか「分かった。仕事、がんばって」と言って、飴玉を口の中に放り込んだ。明未はその様子を微笑ましく見つめながら「ありがとう」と言い、ドアノブを引いた。 見上げた夏空は、どこまでも高く ―― 青く青く、澄んでいた。

そろそろさよなら | お題提供