「お母さん…置いて逝っちゃ嫌だ…嫌だよ…」 「コレット…」 母親が死んだ日のことだった。その日は鬱陶しいくらいの雨が地面をたたいていて、地面は簡単にぬかるんでいった。 母親は流行病で、医者からもそんなに長くは生きられないだろう、と言われていた。生まれつき体が弱かったことが災いしたのだと父親は言った。 いまとなっては、どうでも良かった。そんなこじつけなんて、どうでも良かった。ただ、三人で当たり前に笑っていたかっただけだった。最初みたいに、笑っていたかっただけだったの。 運命って、時にはすごく皮肉だとわたしは思う。それでいて、すごく勝手なの。振り回すだけ振り回して、最後はこんな結末だなんて。 「おとう、さん…?隣にいるひと、誰…?」 「さぁ、殺してしまいなさイ、わたしの可愛いアクマちゃん」 「ウウ…オマエナンカ、死ンデシマエ」 「どう、して…?つらいの…?苦しいの…?」 それから先のことは、ほとんど覚えていない。涙でまえが見えなかったのも理由のひとつだった。だけれど、何かわけの分からないモノに脳内を、神経を侵略されたような感覚がした。 真っ白の羽根が、父親を ―― たったひとりの肉親を、傷つけていくのが見えた。枯れることのない涙の中、とうとうわたしは意識を失った。 サァァ、と水の走る音が聞こえる。コレットはその水音を聞きながら、重たいまぶたを開けた。目頭が熱い。額に手を添えてみると、少し汗ばんでいるのが分かる。 らしくもなく、寝汗をかいていたみたいだった。コレットは持っていたハンドタオルを取り出し、額の汗を拭った。「コレットちゃん、目が覚め…って泣いてる、の?」不意にそんな可愛らしい声が聞こえ、 コレットは慌てて目を見開いた。道理でまえが見えないはずだ、と遅れて気がついた。寝起きに泣くなんて、滅多にない体験だったから、素直に驚いた。そしてそれを、仲間に見られるだなんて、一生の不覚だ。 「リンネちゃん…?ここは…?」 「教団の中の水路だよ!任務帰りなのっ。着くまえにコレットちゃんは寝ちゃったみたいだけどね?」 「そう、だったね…変なとこ見せちゃってごめんね」 「ううん!それよりどうして泣いてたの?怖い夢でも見たの?」 「ううん、違うの。ちょっと懐かしい夢を見ただけ…心配かけてごめんね。もう大丈夫だから」 「ほんとう…?でも良かった!悲しくて泣いてるんじゃないみたいだから」 「リンネちゃん…ありがとう」 「お礼言われるようなこと言ってないよぉ」と明るい笑みを浮かべてそう言うリンネを見つめ、コレットは瞳を眇めてゆっくりと微笑んだ。 そうだ ―― 今回は珍しく、リンネと任務がいっしょになって(内容的には、そんなに難しいものじゃなかったけれど)ノアと遭遇して、苦戦を強いられたことは記憶している。 イノセンスは無事に保護したけれど、まさかリンネといっしょのときにノアと遭遇するだなんて思ってもみなかったから、驚きを隠せないのがほんとうのところだ。 「じゃあ、わたしはイノセンスをヘプラスカのところに届けてくるね」 「うん!あ、あのねコレットちゃん!」 「うん?なに?リンネちゃん」 「良かったら、きょうはわたしたちのところで休んで欲しいの!きょうのお礼っ」 「え…でも家族の団欒にお邪魔するわけには…」 「だいじょうぶだよ!ママたちにはわたしが話しておくし!コレットちゃんなら大歓迎だよ!」 「リンネちゃん…」 「それにね!ちょっとでも長くコレットちゃんといっしょにいたいしっ」 必死にお願いをするリンネを見ていると、逆に断るのが申し訳なくなってしまって、ついに折れたコレットは「ありがとう…それじゃあお言葉に甘えよう、かな?」と言って苦笑いを浮かべた。 するとリンネはまるでひまわりが咲いたかのような笑みを浮かべて「やったぁ!ありがとう、コレットちゃん!またあとでね〜!」と言うなり何処かへ駆け出してしまった(きっと、エヴァさんのところだね) そう思ったコレットはくすりと微笑んで、探索部隊のひとに一礼をし、最後に「おやすみなさい」と言ってヘプラスカのもとに向かった。時刻は、すでに午前0時を回っていた。 ヘプラスカにイノセンスを届けたあと、コレットは眠たそうにしていたコムイ室長に一礼をして、リンネたちの部屋に向かった。みんなのところへ行くのも、久しぶりだなあ。 かすかに高鳴る胸を押さえながら、リンネたちの部屋に着いたコレットは深呼吸をひとつして、軽くノックをした。 「あの…こ、こんばんは!コレットです」 「コレットちゃん?ちょっと待ってね、いま開けるから!」 「こらリンネ、いい加減寝なさいって言ってるだろ!コレットが来るからって…!」 「こんばんは、いらっしゃい。あがって?リンネから話は聞いてるわ。任務ご苦労様」 「あ…いえ。なんだか無理させちゃってすみません…リンネちゃん、まだ小さいのに」 「なに言ってるの。確かに小さいけどあの子だって立派なエクソシストよ?それに、あなたが謝ることじゃないわ。ほら」 そう言ってコレットの背中を押すエヴァに感謝しつつ、コレットは部屋の中に入った(正確には押し込まれた)エヴァはいつの間にかリンネたちのそばにいて、嬉しそうな笑みを浮かべていた。 コレットに気づいたらしいユ−リも、くるりとこちらを振り返って、笑みを浮かべた。ほんとうに、笑顔が素敵な家族だなぁ、とコレットは思った。 それに、不思議だった。堅苦しさも、居心地の悪さもぜんぜん感じない。まるで、ここがほんとうの居場所みたいに思える。 「おかえり、コレット」 「あ…ただい、ま」 「コレットちゃんおかえりっ!ね−ね、いっしょに寝よ−よ!」 「おかえり、コレット。それはセクハラ発言だぞ、リンネ」 「良いもん!コレットちゃん訴えたりしないもん!ね−?」 「ね−って…そりゃお前、コレットの人が良いからだろ」 「まぁまぁ良いじゃない!コレットちゃんが来てくれたんだから、リンネもすぐに寝付くわ」 「そうだよ!ね、コレットちゃんわたしの部屋で着替えておいでよ!待ってるからっ」 「あ…えと…はい。じゃあ行って来ます…?」 「なんで疑問系なんだ、まぁ良いけど。ああ、行っておいで!」 ひらひらと手を振るユ−リを横目に見ながら、コレットはリンネに言われるまま彼女の部屋で着替えを済ませることにした。 「おかえり」脳内で彼らのそんな言葉が何度も何度も繰り返されて、目尻が暑くなった。涙 ―― 一生流すことなんてないと思っていたのに、どうして今更。 エクソシストになると決めたとき、何もかも捨ててきたはずなのに。こんなにも、満ち足りているのは ―― 涙があふれるほど嬉しいのは、どうしてだろう。 分からない…だけど。守りたい、と思った。大切な、この場所を ―― 「おかえり」って言ってくれる、いちばんだいすきなこの場所を。 濁音の闇に捨てておいで | お題提供 |