「ふえ−、終わらない−」 自分の身長ほどある書類の山を眺め、は盛大なため息とともに大きく肩を落とした。きょうは、大事な日なのに ―― とても、大事な日なのに。 どうしてこんな日に限って、山ほどある書類が自分のもとに回ってきてしまうのか。もとをたどれば、責任の一端は自分にもあるのだけれど、それにしてもこれはあんまりだ・と泣きたくなる。 「乱菊さんも…ちょっとくらい手伝ってくれたって良いのにぃ…」愚痴をこぼしてから、筆を走らせる。少しずつだけれど確実に減ってはいるものの、時間の経つ早さのほうが圧倒的に早い。 「う−、時よとまれ−!」 「なにばかなこと言ってんだ、」 「う、わ!日番谷たいちょ、?」 「いつまであほ面してんだよ、戸締り出来ね−だろが」 ああ、見回りしてたのか。日番谷がここにいる理由に納得すると、は再び書面とにらめっこを始めた。不意にどすん、という音がして、は思わず音がしたほうを振り返った。 そこにはいつものように、執務机に深く腰を下ろした日番谷隊長がいて、は「隊長…?帰らないんですか?」と尋ねた。「ば−ろ、ひとが残ってんのに戸締り出来るわけね−だろ」日番谷隊長はそう言って、通信簿を眺めた。 それはいつも、各隊に配られる通信簿で、いまは主に檜左木くんが引き継ぎで業務をしている・と聞いたことがあった。あの藍染の反乱から、もうどれくらいの時間が経ったのだろう。 「止まってんぞ、」 「あ…、はい。隊長…誕生日なのに遅くまで大変ですね」 「別に、誕生日つったって年齢関係ね−だろ?俺ら。大変は大変だけど、これも仕事のうちだし?戸締りが特別ってわけでもね−し」 「冷静というか、なんというか…隊長らしいですね。乱菊さんならすぐ帰っちゃうのに」 「あいつと比べられるなんて、心外だなあ…」 はふっと笑みを浮かべる日番谷隊長に目を奪われながらも、「すみません…?」と小さな声で呟いた。果たして、いまの言葉が彼の耳に届いていたかどうかは定かではない。 だけれど隊長の「疑問系かよ」と言うツッコミが聞こえて、ちゃんと聞こえてたんだ・と思うと嬉しくなる。心の中が、ほんの少しくすぐったくなる。ががんばろう、と再起していると、今度は日番谷が「ふうん?自分で言っておいて、何もなしか」と呟くように言って、はふと顔をあげた。「はい?」不思議に思って、そう尋ねてみると、日番谷は「別に」とだけ言って、お茶をすすった。 「あ…?えと、お誕生日おめでとうございます…」 「おう。てっきり忘れてんのかと思ったぜ、のことだからな」 「わ…忘れませんよ!忘れるわけないじゃないですか、隊長の誕生日なんですから!」 「へ−?けどまあ、せっかくだしありがたく受け取っておくかな」 い…意地悪だ…!がそう思いながら身を震わせていると、日番谷が不意に「あ」と声をあげて立ち上がった。もつられて立ち上がると、そこには白く舞い踊る雪が見えた。「今年はきょうが初雪だな」日番谷隊長がそう嬉しそうに話をするので、の声も「はい」と明るく弾んだ。「例年より遅い、初雪でしたね」がそういうと日番谷は「俺へのプレゼントなのかもな」と冗談を言うように笑って話した。…ずるい。 このひとにそんなふうに思わせてしまうこの雪が、とてもずるい。その雪にそんなにも穏やかな笑顔を向けるあなたが、いちばんずるい。その笑顔を、わたしに向けてくれたら良いのに ―― さっき、みたいに。 「、ちょっと休憩して外出ね−か?」 「え、良いんですか?」 「きょうは特別だ。行くぞ、」 「はい…」と返事をして、不意にあることに気づく。「隊長…、きょうはいつもよりわたしの名前、呼んでくれてる…?」なんて、ただの気のせいかもしれないけれど、きょうは隊長とすごすひとつひとつがとても愛しい。苦しいくらい、愛しい。が「綺麗ですね…」と降り積もる雪を仰いでいると、なんだか背中が温かくなっていくような気がした。抱きしめられている・と言うことに気づいたのは、少し遅れてからだった。 「日番谷…隊長…?」戸惑いがちに、日番谷の名前を呼ぶ。だけれどいくら待ってみても、日番谷から返事はなく ―― はただ黙って、彼が言葉を紡ぐのを待つことにした。 「苦しいんだ、」 「え…?」 「なんでだろうな…はこんなに近くにいんのに、苦しいんだ」 「日…番谷、隊長、」 苦しくて言葉が出ないんだ・と言った。「わたしもです…、日番谷隊長、」はそう言って、ゆっくりと日番谷を振り返る。そして彼の手を握り締め、涙のにじんだ瞳で姿をとらえた。 わたしだけじゃ、なかったんだ。そんなふうに思ったら、嬉しい気持ちがあふれた。この気持ちの名前を、なんていうのか分からない ―― だけれど、おんなじ思いで苦悩しているというのなら、これ以上の幸せはないと素直に思えた。 「なんだか…不思議ですね、日番谷隊長」がそういうと、日番谷は彼女を見据えて「なにがだ、」と言った。そしての涙をぬぐい、「同じように苦しいのに…、それが嬉しいんです、とても」というの言葉を、静かに聴いていた。 「そういうところは、らしいんだな…こいつ」 「日番谷隊長…うまくいえないんですけど…あの、」 「分かってる。思いが同じなら、のいいたいことも…なんとなくだけど、分かる気がする」 日番谷はそう言って、ぽんぽんとの背をたたいた。抱きしめられた背中が、火傷をしているみたいに熱い。「うまく言えないけど通じるものがあるって…なんだか良いですね」がそういうと、日番谷は「ああ。だから、そう思うんだろうけどな」と言って、早く中に入れ・と促す。は日番谷の言葉ひとつひとつが心に沁みこんでいくような気がして、「ありがとうございます、隊長」という言葉が、自然との口から出た。たぶんいま、きょうみんなに祝ってもらっていた日番谷よりも嬉しいのは自分かもしれない。 そんなふうに思いながら、更けていく夜をふたりで見つめた。そんなふたりが、正式に結ばれるのはもう少しあとのお話。 なだらかにくだる愛 |