Viola grypoceras/思慮深いちいさな紫紺

 ほら、また考えてる。
 それがどうしようもなく嬉しくて、そして同時にとても悔しくなるのだけれども、彼女はきっと何も気が付いていない。僕がその癖に気が付いていることすら、多分気が付いていないと思うから。
 ねえ、随分と待ったけれども、何時になったらそれ、崩れるわけ?





 この間とても面白いものを見つけたんだ。彼がそう言った瞬間、瞬時にわたしはそれとこれからを決して忘れないようにとゆるやかに舟を漕ぐ様に起動していた脳を揺り起こして、また、脳内に記憶していく。眠ることは決して許されない。いや、わたし自身が許さないのだ。眠っている間に逃してしまうものがいつかわたしの首を絞めると思うと、恐ろしくてどうしても許さない、許せなかった。だから、いつだってわたしの脳は起きていて、そして全てのものを記録している。ああ、なんだか病気みたいだな。そう思うのと、へえそうなんだ、という気のない返事をしたのは、ほぼ同時だった。
「まあボクにとったら何時だって、こうして生きていることすら面白いんだけどね。面白すぎて反吐が出そうだ。」
「出さないでください。」
「冗談だよ。半分くらいはね。ああ冗談と言えば、、君の冗談はそれ何かの線引きなワケ?」
「シンクって時々、いや、いつもデリカシーに欠けるよね。」
「はあ?誰にもの言ってんの?でも、図星、いいね、もっと崩れなよ。」
「………崩れる?」
 頬杖をしながら至極楽しそうな顔をして、まるで玩具を与えられたこどもみたいに笑うシンクが、また、いいね、と言って右手の人差し指をトントンと軽やかに机へと叩き付ける。白くて細い、骨張った指。この指で幾つもの命を奪ってきたとはまるで想像つかない程に、それはとてもきれいなものだった。
 冗談は線引き、合っているようで違うと、でもじゃあどうなんだろうと考えても、やっぱり答えは合っているようで違うというようなとても不確かでとても曖昧なものだった。別に線引きをしているわけじゃあない。しているわけじゃあないのだけれども、見様によってはそうなるのかもしれない。わたしはただ、そう、逃げているだけ。恐れをなして、臆病にも逃げているだけなのだ。果たしてこれは、線引きをしている事になり得るのだろうか。
「いや、崩れるって、なに?」
「その嫌になるほど完璧で隙の無い、性質の悪すぎる癖。面白くないんだよ、それじゃあ。」
「癖?わたし癖なんてないけど。」
「習慣にも近い程頻繁になると、それはもう癖になるんだよ。ああそうだ話が逸れたけれども、昨日面白いものを見つけたんだよね。」
 さっきとは違う笑い方をするシンクを見て、わたしは内心小さく溜息をついた。じゃあわたしも言わせてもらうけれど、シンクだってその癖、やめてよ。その面白いもの、どうせ教えてくれないんでしょう?そう思った瞬間に、シンクが「まあ、教えないけどね。」とまた楽しそうに笑いながら言ってのけて、今度は確かに口から溜息が出た。
 これは、棄てなければならない。
「へえ、気持ち悪い、ボク今日死ぬのかも。あは、そうなったらは一緒に死んでくれる?」
「死なないから大丈夫。」
、死んでもいいよ。君は踊っているんだ、かわいそうだけれども。でもそれはボクの精一杯の愛し方。」
「は、」
「君の癖は、ボクにとったらとても嬉しいものだったよ。君は、何も間違ってはいない。きっとボクだってそうする。いや、そうしている。でも、ボクは君の思っているようないきものじゃあないんだよ。ボクはね、壊すことが、何よりも好きなんだ。悔しいから、崩して、崩して、そうして、愛してあげるよ。」
 トントンと変わらずに机へ叩き付ける一定のリズムが支配するこの部屋で、慈しむ様に目を細めるシンクが、笑う。ああ、どうしよう。こんな時の対処法を、棄て方を、わたしは考えていなかった。逃げるばっかりで、立ち向かう術なんて、ちっとも考えてなんかいなかった。
「あ、いなんて知らないくせに。」
「かわいいね、。何処かへ閉じ込めてしまいたくなるくらいに。」
「シンク…!」
「好きだよ、。全ての破壊をやめてしまいたくなるくらいに。」
「ああもう、」
「愛してるよ、。こうして、キスしてしまいたくなるくらいに。」
 一定のリズムと短いリップ音によって、病気が治っていく。揺り起こされていた脳がまた、舟を漕ぐように眠り始めるのを確認してから、わたしは「わたしも愛してるよ、癖がついてしまうくらいに。」という言葉を棄てるべきか否かを、考えた。