ガイラルディアさまは、ガルディオス家の時期跡取りとなられるお方。そしてわたしは、そのお屋敷に仕える、ただのいちメイド。 お母様も、おばあ様も、ずっとずっとガルディオス家でお手伝いをしてきた。わたしはその、三代目。母は少しまえに、患っていた持病でなくなった。 だから必然的に、お母様のあとを引き継ぐ形で、10歳にしてガルディオス家のお手伝いをすることになった。と言っても、お母様のそばで仕事を見てきたから、特別困ることはない。 ひとつだけ困ることがあるとするなら ―― わたし自身が、そう。ガイラルディア様にひどく、とてつもなく惹かれているということくらいだ。 「、僕の部屋にお茶菓子頼める?」 「はい、かしこまりましたガイラルディアさま」 「…ねぇ、思ってたんだけどさ」 去り際、脇を通りすぎようとしていたガイラルディアさまはふと振り返って、何か思い立ったようにそう言った。何か、失礼なことでもしてしまったんだろうか? 身だしなみが乱れているのかもしれないし、自分の態度そのものが気分を損ねてしまったのかもしれない。いずれにしても、悪い点しか思い当たらないが ―― 。 「きみとぼくって、そんなに年違わないよね?」ほんの少しだけ、年相応に寂しそうな表情を浮かべてガイラルディアさまがそう言ったので、わたしは思いもよらず驚いてしまった。 「へ…?あ…ああはい。そうですね」 「じゃあさ、ガイで良いよ」 「え…!そ、そんな恐れ多いです!いくらお年が近いからとはいえ…!」 「きみは女の子だけど、年が近い子ってそんなにいないから嬉しくって。だからきみに頼みたいんだ、だめかな?」 う、上目遣い…!そんなつぶらな瞳で訴えないでください!そう叫んでしまいそうになる衝動を必死で抑えながら、はひと思案した。 これは、ガイラルディアさまを思う自分としては願ってもないことだ。たとえガイラルディアさまがそう思っていなくても、どうしようもないくらい ―― うれしい。 わたしは満面の笑みを浮かべて「ありがとうございます、ガイさま」そう言った。そして、優しくその手を握った。自分とおんなじくらい頼りない両手を、そっと包むように握り締めた。 「…!う、うん。無理言って、ごめん…僕もふたりだけのときはって呼んでも良いよね?」 「…はい、嬉しいです。とても」 「へへ、良かった…!」 「それはわたくしも同じですが…ガイさま?勉強のお時間では…?なにやら廊下が騒がしいですが…」 わたしが気遣わしげにそう言ったのと、自分たちのはるか後ろのほうでどったんばったん、と言うにぎやかな足音と声が聞こえたのはほとんど同時だった。 おそらく、ガイラルディアさまの姉君 ―― マリィさまに違いない。奥様も明るくお優しいひとだけれど、こんなふうに品なく走り回ったりはしない。 直後、ガイラルディアさまの表情がこわばったかと思うと、即座に回れ右をして逃げ出す体勢を整えた。 「こら−ガイ−!メイドさんに駄々こねてないでおとなしく自室に戻りなさい−!」 「わ−!ごめんなさい姉上−!」 「!あなたもあなたです。どうしてガイを甘やかすのですか…!」 「あの、わたしは…」 「はちゃんと注意してくれたよ!のこと悪く言わないでよね−!」 「そう思うなら疑われないようにちゃんと椅子に座りなさいッ!…ごめんなさいね、」 しばしの罵声のあと、マリィさまはそんなふうに言って、一度わたしのほうを振り返った。その笑みは確かに令嬢そのものだけれど、申し訳なさもにじんで見えた。 マリィさまも、お優しい方だ ―― ガイラルディアさまが言ったことを分かってくれたのだと思うと、胸の奥が暖かくなるのを感じた。ほんとうに素敵な家族だ(わたしの理想、だ)。 わたしはほんの少し寂しさを覚え、ふるふると首を振った。そして勉強を始めるであろうガイラルディアさまのために、頼まれたお茶菓子を準備しにキッチンへ向かった。 「お上手ね、」 「え…、え?このお声は…奥様…?」 「驚かせてごめんなさい、さっきはガイラルディアが面倒をかけたみたいで…」 「そんなことないです…!うまく言ってあげられなかったわたしも悪いですし!」 「あなたはほんとうに優しいのね。譜術士の素質もあると聞いていたのに…断ってしまって、良かったの?」 おかわり用のポットを閉めながら、カップにレモンを添える。本格的に勉強したら良いのに ―― そう言っているのだと分かったは、ゆっくりを首を振った。「ありがとうございます。でも…いまは、ガイラルディアさまたちとの時間を大切にしたいんです」そう言って、微笑んだ。すると奥様は少し寂しそうに微笑んで、「そう…」と言った。 「あなた…ガイラルディアのことがすきなの?」 「…えッ」 「隠さなくても良いわ、ほかのみんなには内緒にしていてあげる」 「でも…、いえ…やっぱり良いです。こんなこと、良くないって分かってます」 「…」が寂しそうに微笑むと、奥様もまた同じように笑みを浮かべた。「ガイラルディアはきっと…」その先を聞いてみたくて、でも聞きたくなくて。 わたしはティポットを持って、奥様から逃げるようにガイラルディアさまのもとへ向かった。そして、ものの数分でガイラルディアさまの部屋に辿り着いた。 そこまでは良かったのだが ―― 「両手、ふさがってるし…」いま現在の最大の問題は、そこだった。いつも開けてくれるひとが誰か必ずいるから、ノックが出来ないってほんとうに不便だ。 「?遅かったね」 「すみません。奥様とお話していたら時間を忘れてしまいました…失礼しますね」 「ん?うん。いまね、ヴァンに教えてもらってたんだ」 「ヴァンデスデルカさまに?でしたらもうひとつお茶を…」 「うん!ヴァンの分なら、必要ないよ!もうひとりのお手伝いさんが用意してくれた!」 ガイラルディアさまはそう言って、嬉しそうに微笑み、わたしを自室に招きいれた。するとそこには、ガイラルディアさまが話してくれたとおり、ヴァンデスデルカさまが小さな椅子に腰掛けていた。 「失礼します。お久しぶりです、ヴァンデスデルカさま」そう言ってお辞儀をし、ガイラルディアさまのデスクにお茶菓子を置く。ヴァンデスデルカさまは静かに振り返って、「うむ…久しいな、。メシュティアリカも会いたがっていたぞ」そう言って、少しだけ懐かしい名前を口にした。 「メシュティアリカさま…お元気ですか?」 「ああ。相変わらず、ガイラルディアさまみたいなおてんばさんだ」 「ヴァン−!」 「ふふ…お姿が目に浮かびます。落ち着いたら、またお会いしたいですね…」 「だ、だめだよ!ヴァンのところになんか行っちゃ…!」 「…はい?」 「お言葉ですがガイラルディアさま。は少しもそんなこと思っていないようですよ? それとも、わたしがほんとうにお連れしても?」 ニタ−、と意地の悪い笑みを浮かべて、ガイラルディアさまの反応を楽しんでいる様子のヴァンデスデルカさまを不思議そうに眺めながら、わたしはただただ首をかしげた。 「気にすることはない、きみの仕事に戻りたまえ」ヴァンデスデルカさまはそう言って、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。ああ ―― ここにいるひとたちは優しいひとばかりだ。 「ね−ね−!またあの歌を歌ってよ!」テラスで日向ぼっこをしていたらしいガイラルディアさまはそう言って、両手を広げてはしゃいだ。「仕方ない、折角だし休憩にするか」わたしもお前の歌を聞いてみたいしな・と付け加えて、笑みを浮かべた。 「あの歌…というと、昔ヴァンデスデルカさまが教えてくれた…譜歌、と言う歌ですね」 「うん!ティアが歌ってくれたときも聞いたけど、やっぱりの歌が落ち着くんだ」 きゅ、と胸が締め付けられるような感じがした。まるで、期待して良いんだよ・って言ってくれているみたいだった。そんなの、ただの空想でしかないのに、思いはもう、どうすることも出来ない。 だけど、だけど ―― それなのに、この胸は。こんなにも、痛いなんて。ゆるやかに響く旋律に耳を傾けながら、はそっと瞳を閉じた。 美しい火傷が心臓に残されていく |