さわさわと穏やかに風が吹いている。ほんのすこしまえまで生死に関わるような激闘を繰り広げていたとは思えないほど、そこはとても穏やかだった。 広々とした草原に、かつての仲間のひとり ―― ・を見つけ、ガイは思わず声をかけそうになった。「お…」い、と言いかけて、はっと言葉を飲み込む。 優しく吹き抜ける風に揺られて、の柔らかな髪がふわふわとそよいでいる。季節はもう秋だ ―― さすがに冷えるだろうと思ったガイは、居眠りをしているにコ−トをかけた。 「ちっとも変わってないんだなあ…は」 呟いて、ふっと笑みを浮かべる。「ん…ガイ…、?」不意に、そんな声が空気を ―― いや、鼓膜を震わせた。目をおろしてみると、そこにはやはり覚醒したばかりのの姿があった。 彼女はと言うと、まだ少しだけ眠たそうにまぶたをこすりながら、ゆっくりと起き上がってこちらを見つめていた。「もう少し寝ていても良かったんだぞ?」ガイがそんなふうに言うと、は少し困ったふうに笑みを浮かべて「うん、そのつもりだったんだけどね…」と言い、目が覚めちゃった、と悪戯っぽく笑いながらそう付け加えた。 「おんなじだな…あのときと」 「…へ?なにが?」 「旅してたときとだよ。、俺が行くたびに居眠りしてて…毎回おんなじこと言ってただろう?」 「…そうだっけ?」 「…寝てばっかりで忘れてしまったんじゃないのかい…?」 訝しげにそう言って、眉間にしわを寄せるガイを、は「失礼な!これでも記憶力は良いほうですよっ」と言って一瞥した。そうして頬を膨らませて、そっぽを向く。 「はは…悪かったよ、。きょうは、けんかをするためにきたわけじゃないんだ」ガイはそう言って苦笑し、を見た。もまた「え…?」と言いながら首をかしげ、ガイのほうを向いた。 「ちょっと、付き合って欲しくてね」ガイはそう言って自分の手のひらをのほうに向け、少し苦痛そうな表情を浮かべた。それだけで、は「ああ…例の、特訓ね」と納得し、頷いた。 「良いけど…わたしなんかよりアニスとかのほうがはかどるんじゃない? 奇跡的と言っても何度かアニスのおかげで克服出来たこともあったわけだし…」 「アニスか…あの子はほら、子供だから特別緊張することもなかったけど、 ティアやナタリアやは違うだろう?ほんとうにほんとうの女性なんだから…それに…」 「それに…?」 触れそうで、触れられない。ガイはそんなもどかしい思いを抱えながら、少しだけ寂しそうな笑みを浮かべ、「いや、すまない…なんでもないんだ」と言ってよし、と意気込んだ。 「ガイ…?」が不思議そうに首をかしげながらも、何かを訴えてくるような視線を向けるが、これだけはいえない。と言うより、言わない。この女性恐怖症をに触れることで克服するまでは、言わないと決めた。目標、みたいなものだ。だから、何があっても、克服したい。しなくてはならないんだ。 「ガイ…何を、あせってるの…?」 「…へ?」 「気のせいかもしれないけれど…わたしには、そんなふうに見えるよ。わたしには、言えないこと?」 「…ああ、あせってるわけじゃないんだけどな…。 ほんとうに、すまない…いまは言えないんだ。でも…克服出来たそのときに、必ず話すから」 頼むよ。ガイは懇願するようにそう付け加えて、右手を差し出した。するとも観念したのか、「…分かった。無理はしないでね」と言って、差し出したその手を握り返してくれた。 だけれど ―― 「…ッッッ!」やっぱり、いきなりは難しかったみたいだ。ガイは、全身の血の気が引くのを感じながら、派手に地面に転げ落ちた。耳の遠くで、「ガイ!大丈夫?」というの声が木霊している。ああ ―― こんな調子で、に思いを告げることは出来るのだろうか。そしてなにより、自分はに触れることが出来るようになるのだろうか。こんなときほど、この性質が憎らしく思えることはないと、心底思った。 そして同時に、何が何でも克服してやるって言う、闘志みたいなものがこみ上げてくるから不思議だ。あきらめる気持ちじゃなく、逆に闘志がみなぎる。それはたぶん、そばにがいてくれているからだと思う。 「ハ−ハ−、ハ−…」 「ガイ、そろそろ休んだら…?ほんとうに倒れちゃう、」 「大丈夫、だ…もう少し…!」 「だ、だけど…ガイ!」 「やってやる…!ル−クだって変われたんだ、俺だって…!」 「ガイ…」風に消えそうな声で、彼の名前を呼ぶ。そのひとの表情は真剣そのもので、自然に邪魔しちゃいけないんだっていう思いがこみ上げてきた。協力しなくちゃいけないんだって、思いがあふれ出す。 意を決したはぎゅ、と両手の拳を握り締めて、顔をあげた。そして ―― 「ガイッ!」そう名前を呼ぶなり、勢いよくガイに抱きついた。途端に「!?」と言う、驚きに満ちた声が聞こえた。ガイの反応も、表情も、どれもこれも、予想の範囲内だ。驚くのを分かりきっていて、倒れるかもしれないことを想像していて、それでもガイを抱きしめた。逆効果かもしれなくても、その衝動を抑えることは出来なかった。 「ぐえッ…、…分かったから、離れてく れ」 「え、ガ…ガイ!?平気…?」 「ああ…ちょっと冷や汗出たけどな…驚いたのもあってだいぶんましみたいだ」 「そ、っか!そっか…!」 「…?」嬉しさのあまり何度も頷いて、笑みを浮かべているを不思議に思ったガイは、わけが分からないと首をかしげるばかりだ。そんなガイに、は「ごめんなさい、なんでもないの。嬉しくって、」と言って、くすりと笑みを浮かべた。ガイを見てみると、案の定、だからって、と言いたそうにしている彼の表情があった。 「だって…そうしたかったんだもの。仕方ないでしょ?」クスクスと笑みを浮かべながら、ガイを見下ろす。ガイはというと、面食らったような顔をして、ぼんやりとの顔を見上げている。 「だいすきだよ、ガイ!」 いまのは完全に、勢いだった。だけれど、後悔なんてするはずはない。ずっとずっとまえから、言いたかった言葉だったもの。 しばらく呆然としていたガイだったけれど、やがて腰を抜かしたように座り込んで、無造作に後頭部をかいた。その仕草ひとつひとつが、いまはとても愛しく思える。 「あ−あ、折角の努力が台無しだなあ…これじゃ」ガイはそんなふうに呟いて、ゆっくりと顔をあげた。そして、いつもの穏やかな笑顔を浮かべて、静かに立ち上がった。 「いまなら、きみにも触れられそうな気がするよ…」 やがて白昼夢は加速をはじめる |